佐藤守弘(本学講師)
時は明治、一八九〇年、東京きっての盛り場、浅草に(当時としては)とてつもない高塔が建設された。凌雲閣と名付けられたその塔は十二階建てであり、即物的に〈浅草十二階〉として親しまれ、さまざまな文学にも描かれた。当然、それほど高い場所は東京にはなかったので、見物客はひきもきらず、一九二三年、関東大震災により倒壊するまで、まさに東京一の名所といってもおかしくはないランドマークとなった。
佐藤守弘(本学講師)
メトロポリタン美術館の版画部門の部長を長く務めた著者による本書は、木版画から写真術に至るまでの西洋における〈印刷画〉の歴史──プリント・カルチャーといってもよいだろう──を考察したものである。イメージとは、美的な機能だけでなく、さまざまな情報を伝達する機能をも具えている。
上村博(本学教授)
原題は Le Japon eternel すなわち「永遠の日本」であるが、山折教授によると、ドゥレ氏は日本美術研究者とのことである。ガリマール社の「再発見」シリーズは、珍しい図版を豊富に含むことで知られているが、本書も例外ではない。本文が遠慮がちにさえ見えるほど多様多彩な体裁になっており、日本美術に疎くはないはずのフランスの読者も、さぞ目を奪われることだろう。勿論、日本人にとっても刺激的な案内になっている。
佐藤守弘(本学講師)
山藤章二『似顔絵』は、現代随一の似顔絵師の著者が語る〈似顔絵論〉。似顔絵とは、単に対象に肖似した絵ではなく、批判の手段である──すなわち、実物そっくりのものではなく、制作者にとって対象がどのように見えるかを写すものである。〈批判〉という表出的な機能を持っているものだと著者は語るのである。もちろんいわゆるアカデミックな著作ではないが、古今のさまざまな肖像画やカリカチュア(戯画)を考える上で、本書は一つの出発点になるのではないかと思われる。 *記事初出:『季報芸術学』No.15(2001年12月発行)
水野千依(本学准教授)
マイケル・カミールの研究を貫くテーマは「他者」の表象といっていいかもしれない。ゴシック美術の歴史を専門にしながら、つねに、従来等閑に付されてきたイメージの豊かな内包を掘り起こす著者による本書は、十三世紀に制作された写本に始まり、修道院、大聖堂、宮廷、都市などの文化的な「中心」から排除された「周縁=他者」に象られたさまざまなイメージに視線を向ける。
佐藤守弘(本学講師)
二一世紀の現在、私たちは美術、インターネット、広告、デザイン、写真、映画、テレビ、建築、コンサートなど、さまざまなヴィジュアル・カルチャーにさらされている。元来、視覚に関する文化を読み解く作業は、「美術史学」という学問が一手に引き受けてきた。その学問の成果を踏まえ、さらに学際的に研究を進めていこうという動向が、本書の紹介する〈ヴィジュアル・カルチャー・スタディーズ〉である。
佐藤守弘(本学講師)
〈リテラシー〉という言葉は、「読み書き能力」を意味する。したがって〈メディア・リテラシー〉とは、メディアを読み解く能力のことである。印刷メディア、テレビ、インターネット。私たちは現在、とてつもない量の情報の洪水に曝されている。欧米の教育現場では、それらを批判的に解読する能力を身につけさせるプログラムがさまざまに行われている。ジャーナリストである著者は、それらの現場における情況、あるいは問題をレポートする。これは、美術史/芸術学が培ってきた、視覚的なものを解読する能力の涵養とは、決して無関係ではないはずだ。
*記事初出:『季報芸術学』No.15(2001年12月発行)
佐藤守弘(本学講師)
大正時代、民衆による、民衆のための芸術──日常に使われた陶磁器、漆器、布、さらには大津絵などの絵画──に美を見出す運動が興った。いわゆる「民芸運動」である。雑誌『白樺』の同人であった柳宗悦が中心となって、それまで顧みられることのなかったさまざまな制作物に光を当てた運動であった。民芸によってはじめて世に出たモノは多い。
佐藤守弘(本学講師)
明治期に西洋から移入された「美」や「芸術」という概念が、どのような摩擦を引き起こしながら、定着し、制度化されてきたのか。美学/芸術学/美術史の研究者たちのあいだで──さらには現場の制作者までも巻き込んで──この問題が 活発に討議されるようになってから随分経つ。多くの研究者が、この問題を自覚し、さまざまな「神話」の解体に取り組んできた。
佐藤守弘(本学講師)
「ものを見ることとはどういうことか?」本書はこのような疑問から出発する。『ものの見方』という原題を持つ本書は、4つの章──「複製技術」「女性ヌードとフェミニズム」「所有形式としての絵画」「広告」を扱ったもの──からなる。すなわち、私たちのものの見方とは、先験的なものでは全くなく、社会的に構築されたものである、ということをさまざまな事例を通して明らかにしていくのが、この書の目的である。