杉崎貴英(本学講師) 古美術のコレクションを扱う小さな美術館に勤めていた時、収蔵品に対する貸出や図版掲載の許可申請書から、改めて気づかされたことがあった。申請者の立場によって対象(モノ)をさす代名詞が違ってくるのである。たとえば同じ絵巻でも、他の美術館からの書類では「作品」「美術品」、一方、歴史系博物館の場合は「資料」「文化財」などと記していることが多かったのだ。美術館と狭義の博物館との違いがこんなところにも表れるわけだが、まあここまでは理解できた。ところがある日、まったく思いもしなかった第三の代名詞に出くわしたのである。調査の申し込みは説話文学の研究者から。そこで絵巻は、なんと「貴重書」と記されているではないか!
杉崎貴英(本学講師)
「法隆寺は再建か非再建か」「高松塚古墳の被葬者は誰か」といった古代史上の事実認識にかかわる問題や、「広隆寺弥勒は朝鮮渡来か」「薬師寺本尊と白鳳・天平論争」といった美術作品の様式認識にかかわるものなど8つの論点について、明治以来の研究史が丁寧に追跡されている。今に残された数少ない史料と作品、つまり“事実”から、いかに妥当な“解釈”を導きだすか。新たな謎が浮かび上がり、あるいは先学の解釈がくつがえされ、論争は複雑化してゆく。読み手はその過程をたどるなかで、史料解釈や作品記述のより有効な方法についても考えさせされるのである。
杉崎貴英(本学講師)
織田信長が上杉謙信に贈ったという伝承のもと、狩野永徳の作品として国宝に指定された上杉本「洛中洛外図屏風」。しかし近年ある中世史家から、この伝承を疑問視し、景観は1547年の京都を忠実に描いたもので、当時幼少だった永徳の作品とは考えられない──とする説が提示された。果たして定説は覆るのか、新説に方法上の問題はないのか。絵画史料を積極的に中・近世史研究に活用してきた黒田氏は、この衝撃的な説が巻き起こした論争に遅ればせながら参戦することになる。論争はまた、美術史家・建築史家・日本史家それぞれにおける、絵画のとらえ方の相違を顕在化させていた。黒田氏は先行研究を腑分けし、問題点を摘出しつつ考察を前進させてゆく。そしてついに、伝承にまさる新たな史料にたどりつくことになるのである。
杉崎貴英(本学講師)
運慶といえば、歴史の教科書にも東大寺仁王像の作者として登場していた著名な仏師。その仁王像の解体修理など、近年新たな発見が相次いでいる。本書は『産経新聞』紙上において、上横手氏(中世史)と松島氏(彫刻史)との間で繰り広げられた「切れば血の噴き出るような対論」(編集者のあとがきによる)をまとめたもので、根立氏が伝記的叙述を補っている。
杉崎貴英(本学講師)
“絵そらごと”という言葉は、絵画が本来的にフィクションであることを端的に示している。では“絵”はいかにして、“そらごと”を具現化しているのか?あるいは“絵”のテクニックとして、どのような“そらごと”を秘めているのか?
杉崎貴英(本学講師)
今回はすこし毛色の変わった特集にしてみた。美術史の課題の一つが、「かたち」を「ことば」で語るという難しさにあるとするなら、こうした図書は“ひろく/わかりやすく伝える”という、さらなる困難への挑戦となっているはずである。それが成功していれば、大人の我々にも訴えかけてくる力をもっているに違いない。また昨今、学習指導要領の改訂により、美術館での教育普及活動にますます期待が高まりつつあるが、この種の本はそれとの連関をはらむとみることもできよう。
杉崎貴英(本学講師)
今回は“日本の美術館の現在を考えるために”をテーマとしたい。もちろんテキスト『現代博物館学』(市販版は『現代美術館学』)や日比野秀男編著『美術館学芸員という仕事』『美術館と語る』(ぺりかん社、1994・99年)も多くの話題を提供しているが、いま少し周辺事情に目を配って4件を取りあげ、関連書にもふれてゆくことにする。
杉崎貴英(本学講師)
今回は日本美術(史)を概説的に扱った本の特集としたいが、この種の本は多いように見えて、実は読者を惹きつけるものが少ないように思えてならない。そこで一人の書き手が各々の史観でものした総論に限り、さしあたり以下を挙げよう。
杉崎貴英(本学講師)
今回は“文庫・新書で読む日本仏教美術史”として以下4冊を紹介したい。
まず、ハンディながらも優れた概説書としてとりあげたいのがこの本。
佐藤守弘(本学講師)
「法隆寺の柱が膨らんでいるのは、ギリシアのエンタシスの影響だ」。この説を聞いたことのある人は少なくないだろう。しかし、建築史学の専門書には、どこを探してもこの説は見あたらない。どうしてだろう、という素朴な疑問から本書は始まる。明治時代に「日本美の至宝」として位置付けられた法隆寺の建築には、さまざまな言説──「法隆寺に投影されてきた夢」と著者は呼ぶ──が重層的に紡ぎ出されてきた。