池野絢子(教員)

図1:ジーノ・セヴェリーニ《母性》1916年、カンヴァスに油彩、92×65cm、エトルリア美術館、コルトーナ

図1:ジーノ・セヴェリーニ《母性》1916年、カンヴァスに油彩、92×65cm、エトルリア美術館、コルトーナ

 第一次世界大戦の前後から第二次世界大戦が始まるまでの戦間期、ヨーロッパの前衛芸術家たちの多くが、それまでの前衛的な画風を捨てて「古典性」や「伝統」の重要性を説き始める。作家のジャン・コクトーの著作に因んで、一般に「秩序への回帰」と呼ばれるこの傾向は、大戦によって生じた破壊と混乱のなかから、再び秩序を取り戻そうとした芸術上の動きであると理解されている。

ボッチョーニの「アトラス」

カテゴリー: KUAブログ, 愉快な知識への誘い |投稿日:2018年9月25日

池野 絢子(教員)

図1:《若き巫女》の複製図版、掲載誌不明

図1:《若き巫女》の複製図版、掲載誌不明

 20世紀を駆け抜けたイタリア未来派のなかで、実践と理論の両面で一際注目すべき活躍をしながら、従軍中の不慮の事故が原因で早逝した芸術家、ウンベルト・ボッチョーニ(1882–1916)。そのボッチョーニが残した貴重な資料がヴェローナ市立図書館で再発見され、2016年にミラノのレアーレ宮殿、およびロヴェレートの近現代美術館で開かれたボッチョーニ回顧展で初めて一般に紹介された。

池野 絢子(教員) 「黄金のアデーレ」(2015年)という映画をご存知でしょうか。グスタフ・クリムトの描いた《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I》(1907年・図1)という絵画をめぐる物語です。金地の上に美しく着飾った女性が豪華で装飾的な技法で描かれた、クリムトの代表作の一つであり、大変魅力的な絵画なのですが、映画は制作経緯の話でも、クリムトの生涯の話でもありません。そこに描かれた女性アデーレと、その作品の所有者をめぐる物語です。

池野絢子(教員)

ロヴェレート近現代美術館、2016年

ロヴェレート近現代美術館、2016年

 余計なもののない広々とした空間に、真っ白な壁。そこに絵画が一枚一枚、同じ高さに、適度な間隔を保って掛けられている。ギャラリーや美術館に通う人ならお馴染みの、いわゆる「ホワイト・キューブ」である。

拈華微笑2017(2):外国語のススメ

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2017年8月26日
池野絢子(教員)
 卒業研究で西洋美術史を研究したいと考えていらっしゃる学生さんからたまに寄せられる質問に、「語学に自信がないのだけれど、どうしたら良いか」というものがあります。関心はあるのだけれど、外国語が読めないから、研究対象としては選べない。そう思って西洋美術史をあきらめてしまう方もいるようです。

池野絢子(教員)

クルト・シュヴィッタース、ハノーファー・メルツバウ、ヴィルヘルム・レーデマン撮影、1933年(図版出典:Karin Orchard, “Kurt Schwitters: Reconstructions of the Merzbau,” Tate Papers, no.8, Autumn 2007, accessed 14 December 2016.)

クルト・シュヴィッタース、ハノーファー・メルツバウ、ヴィルヘルム・レーデマン撮影、1933年(図版出典:Karin Orchard, “Kurt Schwitters: Reconstructions of the Merzbau,” Tate Papers, no.8, Autumn 2007, accessed 14 December 2016.)

 ドイツのハノーファー出身のダダイスト、クルト・シュヴィッタース(1887-1948)。その彼がライフワークとした作品「メルツバウ(メルツ建築)」は、廃物やがらくたのアッサンブラージュ、および白い板と石膏の幾何学的立体からなる、複合的構築物である。1923年、シュヴィッタースはハノーファーにあったアトリエ兼住居でその制作を始め、

拈華微笑2016(2):古典(再)訪

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2016年5月26日

池野絢子(教員)  美術作品にも、小説にも、ポップ・ミュージックにも、どんな分野にも「古典」と呼ばれるものがある。研究にも、「古典的名著」なるものが存在していて、その分野を志す人にとっては必読書だ。あるいは、日本人にとっての『源氏物語』のように、ある文化圏の人が共有している「古典」もあるだろう。対象は異なれど、多くの人にとって古典的作品/著作といえば、やはり知っておきたいもの、知っておいて損はないと思われるもの、なのではないだろうか。

池野絢子(教員)

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco, 1932-)をご存知でしょうか。彼の名前は、『薔薇の名前』(1980)や『フーコーの振り子』(1988)を著した小説家としてより知られているかもしれません。しかし、エーコは、小説家であると同時に、メディア論者、記号学者、そして美学者でもあります。ここでは、そのエーコの著作の一つ、現代芸術の理論書として今なお広く参照されている『開かれた作品〔Opera aperta〕』(1962)(ⅰ)と、それにまつわる論争をご紹介したいと思います。

ウンベルト・エーコ『開かれた作品』の第9版表紙、2013年

ウンベルト・エーコ『開かれた作品』の第9版表紙、2013年

池野絢子(教員)

 三月、イタリアへの調査旅行で、北イタリアはロンバルディア州にある都市ヴァレーゼを訪問しました。ミラノから鈍行で約一時間、コモ湖の西側に位置する街です。ヴァレーゼといえば、エステ家の宮殿と庭園で有名ですが、今回の私の旅の目的は、街の中心部を見下ろす小高い丘の上にある一軒の瀟洒な邸宅、パンツァ荘でした。  その名を冠されたジュゼッペ・パンツァ・ディ・ビウモ(1923-2010)という人物をご存知の方は、ほとんどいないでしょう。彼は、イタリアでは有数の現代美術のコレクターであった人物で、とくにアメリカの抽象表現主義とミニマル・アートの膨大なコレクションを有していました。私は去年から、この人物に関心を持って調査を続けています。なぜか? というと、彼の現代美術に対するこだわりがとても独特だったから。パンツァは、作品の収集に情熱を傾けただけではなく、作品を「どこに、どのように置くのか」が重要な問題であると考えた、稀有なコレクターだったのです。その結果パンツァは、抽象的で幾何学的なアメリカの現代美術を、歴史あるヨーロッパ貴族の邸宅に展示することになります。