拈華微笑2012(6):“辞書によると”

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日: 2014年4月3日

小林留美(芸術学コース教員)

 “辞書によると、「美学」とは美の本質や構造を解明する学問である”。
 “辞書によると、「イメージ」は、心の中に思い浮かべる像、心象、姿、形象、とある”。
 学部共通専門教育科目「美学概論」で提出されるレポートを読んでいると、その最初の方でこのような一節を目にすることがよくあります。おそらく、とりあえず辞書を引いてその言葉の意味を確認することから始めてみる、というのは、理論系科目のレポートに特有のことのように思いますし、あるいは本科目の課題内容によるのかもしれません。いずれにせよ、辞書を引いてみる(紙媒体の辞書だけではなく、ネットのWikiであっても)こと、一旦その事項を引用することが悪いわけでは決してありません。問題は、その一冊の辞書での最初の定義を当然のように受け入れて(とりわけその意味が自分が予め持っている見方と合致するとき)、それを基にテキストを読み、解釈し、自分の論を組み立ててレポートを書かれる、ということです。例えば、「イメージ」。現代の日本で私たちはごく普通に「イメージする」という言葉を使い、「イメージされたものとしてのイメージ」つまり、心の中・頭の中に思い浮かべられた何らかの像や印象、それも往々にして明確な形を結ばない漠然とした何か、といったものとして「イメージ」を捉えることが多いでしょう。もちろん、そういう想像されたもの・記憶の中にあるものも「イメージ」ですが、そもそものimageは、眼に見える姿形、外形、画像彫像映像などの像全て、でもあります。そこでテキスト『美学概論』では、「イメージ」を理論的に厳密に把握することは困難であると断りつつ、まずは、感覚的な像=形象それも視覚的現象であることを前提にして話が進められることになります(そうではない「イメージ論」もむろんあり得ます)。ところが、心の中に思い浮かべる像、という定義に捉われ、あるいは自分がこれまで抱いてきた先入観や常識(と思い込んでいること)に捉われていると、そのテキストの読解が出来なくなってしまうということにもなるでしょう。
 どのような著作であれ、書かれていることがすべて正しいと鵜呑みにする必要はありませんが、まずは、何らかの先入観や一元的な辞書的定義のみに捉われることなく、何を語ろうとしているのか、率直に注意深く耳を傾けてみてください。テキストの理解と新しい発見はそこから始まると思います。

*記事初出:『雲母』2013年2月号


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