行ってきました & これからの展覧会:2014夏〜

カテゴリー: 美術館・展覧会情報 |投稿日: 2014年7月5日

三上美和(芸術学コース教員)

皆さんこんにちは。なかなか時間を作れず更新が遅くなってしまいました。でもなんとか滑り込みで最近見た展覧会をいくつか紹介します。内容は全く違いますが、いずれも意義深いものでした。

 

一つめは、府中市美術館の「東京・ソウル・台北・長春ー官展にみるーそれぞれの近代美術」。この展覧会の一番の意義は、開催に至ったこと、これに尽きると言っても過言ではありません。というのも、日本で最初の政府主催の展覧会、文展(文部省美術展覧会)に関しては、これまでも紹介されてきました。しかし本展のように、日本統治下の台湾、朝鮮、そして日本の強い影響下に置かれた満州でも開催されていた官立の展覧会と一緒に展観されたことはありませんでした。東アジアの近代美術という大きな視点で美術史を捉える新しい試みであり、日本、台湾や韓国の学芸員による共同企画という点も大変意義深いものです。

私としては、初めて知る画家、彫刻家が多く、充実した作品と出会うことができたのも収穫でした。詳細な図録も、今後の同様の展覧会の基礎となることでしょう。本展は府中市美術館を経て、現在は兵庫県立美術館に巡回しています(7月21日まで)。

二つめは山口県立美術館、練馬区美術館で開催された「没後五○年 松林桂月展」。桂月は山口県萩市に生まれた南画家で、花鳥画、山水画に腕をふるいました。まさにこれまで書いてきた文展で活躍し、帝室技芸員にも任命されるなど高い評価を受けました。しかしこれは桂月ばかりではありませんが、戦後、南画の人気がふるわなくなると、一般に紹介される機会も少くなってしまいました。本展は、こういった「戦前大家」の貴重な展覧会といえます。

桂月はまた、筆と墨が日常生活の必需品であった最後の時代の南画家と言えるかもしれません。繊細な筆遣いと色調に、今更ながらその画技の高さがうかがわれ、まさに眼福を味わいました。桂月の魅力が良く伝わってくる充実した内容の展覧会でした。

 

最後は永青文庫の「洋人奏楽図屏風と大航海時代 MOMOYAMA」。永青文庫は、旧熊本藩主で細川家十六代当主である細川護立により創設され、細川家伝来品と護立蒐集品が展示されてきました。今回の展覧会では、三年がかりで修復を終えた《洋人奏楽図屏風》のお披露目と、併せて同時代の細川家に伝わる書状や工芸品などが展観されました。
本展の見所はもちろん修復された《洋人奏楽図》。絵の具の剥落(はくらく)が補填、裏貼紙も新調され、以前に増して色鮮やかな様子でした。こうした屏風は布教活動のため、イエズス会が大名家に贈ったと言われていますが、当時の大名たちも異国情緒たっぷりの大画面にさぞ驚いたことでしょう。修復の過程で、濃色の絵の具は日本古来の膠を使用した絵の具とは全く違った光沢、風合いが見られることが指摘されていました。
本作品は桃山期の作品ですが、細川家伝来のものではなく、近代に護立が購入したものです。他にも護立がヨーロッパで購入したザビエル書簡集も展示されていました。護立の購入した《洋人奏楽図》や書簡集は細川家のコレクションを補うものであり、護立独特の美術蒐集のあり方を示しています。永青文庫は護立の邸宅を美術館に改装したもので、昭和のモダンな建築も見所です。JR目白駅からバスで10分、そこから徒歩5分の閑静な住宅地の一角にあります。付近には椿山荘、講談社野間記念館、少し歩くと雑司ヶ谷墓地があり、時間をとって周囲をゆっくり散策するのも良いかもしれません。

 

今開催中のおすすめの展覧会は、松濤美術館「藤井達吉の全貌」展。藤井達吉は、陶芸家の富本憲吉と並んで、個人作家としての工芸家の先駆けとして近代美術史上に位置付けられています。藤井は当時の若い工芸家たちに新しい方向性を示し、大正期を中心に活躍しました。こうした活躍の後、故郷の愛知県碧南(現碧南市)に戻って中央と距離を置いたことから次第に忘れられてしまいましたが、近年、当時の斬新な作品の再評価が進められて、藤井の名前を冠した碧南市藤井達吉現代美術館も設立され、その業績も広く紹介されています。

本展は藤井の最新の研究成果を踏まえ、その全貌を紹介するものです。漆工、金工など、ほとんど独学で技法を習得した藤井の作品は、技法的な完成度という点では見劣りするかもしれません。ですが、この未熟さこそが、当時の若い工芸制作者たちにとって衝撃的だったのだと思います。それは明治期の輸出工芸に代表される技巧的な工芸の反動でした。工芸が美術と産業とに分かれていった、まさにその分岐点で活躍した藤井の活動を、間近で見られるまたとない機会になると思います。


* コメントは受け付けていません。