拈華微笑2015(2):パンツァ荘を訪ねて

カテゴリー: 『雲母』について, 未分類 |投稿日: 2015年5月26日

池野絢子(教員)

 三月、イタリアへの調査旅行で、北イタリアはロンバルディア州にある都市ヴァレーゼを訪問しました。ミラノから鈍行で約一時間、コモ湖の西側に位置する街です。ヴァレーゼといえば、エステ家の宮殿と庭園で有名ですが、今回の私の旅の目的は、街の中心部を見下ろす小高い丘の上にある一軒の瀟洒な邸宅、パンツァ荘でした。
 その名を冠されたジュゼッペ・パンツァ・ディ・ビウモ(1923-2010)という人物をご存知の方は、ほとんどいないでしょう。彼は、イタリアでは有数の現代美術のコレクターであった人物で、とくにアメリカの抽象表現主義とミニマル・アートの膨大なコレクションを有していました。私は去年から、この人物に関心を持って調査を続けています。なぜか? というと、彼の現代美術に対するこだわりがとても独特だったから。パンツァは、作品の収集に情熱を傾けただけではなく、作品を「どこに、どのように置くのか」が重要な問題であると考えた、稀有なコレクターだったのです。その結果パンツァは、抽象的で幾何学的なアメリカの現代美術を、歴史あるヨーロッパ貴族の邸宅に展示することになります。

 彼が自宅として利用したパンツァ荘は、今では現代美術館として公開されています。建物は18世紀にパオロ・アントニオ・メナフォーリオ侯爵によって建設された新古典主義建築で、邸宅の前にはイタリア式庭園が広がっています(図1)。残念ながら、パンツァのコレクションはその大部分が生前にロサンゼルスの近代美術館に売却されてしまいましたが、パンツァ荘には彼が使用していた家具や調度品、それにコレクションの一部が残されています。たとえば、ピアノ室の壁に掛けられたフォード・ベックマンの《ブランク・ウォール・ペインティング》(図2)のように、各部屋のところどころに配された作品は、比較的すっきりとした部屋の雰囲気とあいまって「モダン」な印象を与えているように感じました。もっとも、往時の写真を見る限り、作品数も調度品も現在よりだいぶ多かったようですから、比較検証が宿題になりそうですが。
 生前のパンツァは、2,000点を越える自身のコレクションを設置するのに相応しい場所を求めて、ヨーロッパ中を巡りました。そして、その候補地の一つとして、お隣のピエモンテ州にあるサヴォイア家ゆかりの城、リーヴォリ城に眼をつけます。16世紀に遡る歴史を持つこの城を、自身の現代美術コレクションで満たしたミュージアムにしたい――その願いは、残念ながら実現することはありませんでした。しかし、歴史的建造物を現代美術のための空間に転用することで、古い芸術と新しい芸術が対話するような空間を生み出す、というパンツァが掲げた理想は、イタリアで初の公的現代美術館、リーヴォリ城現代美術館(1984年オープン)の建設計画に引き継がれることになったのです。
 パンツァが求めた芸術作品と建築空間との理想的な対話とは、いかなるものだったのか。現在の私たちにできるのは、彼が残した手記や図面、写真といった資料を通じて、その場の雰囲気を想像してみることだけです。広い屋敷の廊下を行き来しながら、このコレクターがかつてここで暮らし、夢見たはずの幻のミュージアムに、想いを馳せる一日でした。

 

図1 庭園からパンツァ荘を臨む(2015年3月10日撮影)

図1 庭園からパンツァ荘を臨む(2015年3月10日撮影)

図2 パンツァ荘内部の様子(2015年3月10日撮影)

図2 パンツァ荘内部の様子(2015年3月10日撮影)


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