拈華微笑2015(3):「小川千甕展」と「片岡球子展」を見て
三上美和(教員)
たまたま同時期に開催されていた、六本木の泉屋博古館分館の「小川千甕展」と東京国立近代美術館の「片岡球子展」を見た。どちらの展覧会も画家の作風を丁寧にたどり、最新の調査が反映された充実した内容だった。
「小川千甕展」は閉幕間際の駆け込みだったが、これまで知らなかった多彩な作品と出会うことができた(今年の秋には京都文化博物館に巡回)。
小川千甕(1882~1971)は京都画壇で活躍した日本画家だが、洋画家の浅井忠に師事し洋画の技法にも精通し、洋行もしている。後期以降は南画風の技法へと作風を大きく変え、日本各地の風景や中国の故事などをあたたかな筆致で描いた。その頃の一枚で、田植えを描いた小品《水田初夏》が実に瑞々しく魅力的だった。ちょうど連休明けの頃だろうか、水を張ったばかりの農村の春の喜びがあふれる爽やかな作品だ。この頃から日本各地をスケッチしに、しばしば訪れるようになる。70歳頃から広い会場の大規模な展示に向かないことを感じ、以来もっぱら個展で発表するようになったという。
千甕とは対照的に、大会場で大作を生涯発表し続けた日本画家が片岡球子(1905~2008)である。球子と言えば、北斎や雪舟を大画面に描いた「面構」シリーズや、奔放なタッチと極彩色の富士図がよく知られている。
本展で一番印象深かったのは、最初期の院展初入選作である《枇杷》(昭和五年)。その後の豪快な作風と全く違った地味な作品は、実は入念な写生にもかかわらず、枇杷の生命力もいまひとつ感じられないのだが、対象を正確に描写しなくてはならないという誠実な態度がよくうかがわれた。本作は小学校教員として勤務する傍ら、出勤前と休日を使っての制作であったという。長命だった球子の長い画業を支えたのが、こうした写生への真摯な態度だった。
先に述べた千甕のスケッチも展覧会には多数出品されていた。作風は全く違うのだが、球子と同様、対象を正確に捉えようと鉛筆を走らせる様子が目に浮かぶような、生き生きしたタッチだった。
展覧会での大作の発表にこだわり続けた球子と、全く別の道を進んだ千甕。一見すると正反対だが、精力的に写生を続け、画業に生涯を捧げた点は同じだった。最近、多くの時間を費やして制作された作品を、一度に展示する展覧会のあり方に少し疲れ気味だったが、心を入れ替えた。体力を維持しつつ、一点でも多くの作品と出会いたいと思う。