「大嘗祭」雑感

カテゴリー: コースサイト記事, 愉快な知識への誘い |投稿日: 2019年7月20日

梅原賢一郎(教員)
 5月1日をもって元号がかわり、10月22日には新天皇の「即位の礼」が、11月14日には「大嘗祭」がとりおこなわれることになっている。皇位の継承を国の内外に示す、国事行為(内閣の助言と承認を必要とする)である「即位の礼」とはちがって、皇室の行事とされる「大嘗祭」は、衆目にさらされることはなく、秘事とされ、行事の真相はなお謎につつまれている。そして(それだからこそ)、おおくの研究者が、あるいは文献に基づいて、あるいはフィールドワークの見地から、抑制的に、ときには、想像たくましく、それぞれの「大嘗祭」論を発表していることはよくしられている。とりわけ、践祚の年の前後には、「論」があまた出版されるであろう。平成天皇のときもそうであった。
 いろいろな「論」を読んで、思うところがある。

 「大嘗祭」が「聖なる儀礼」であることはだれも否定しない。「聖なる儀礼」とは、なんらかのかたちで、神や霊の見えないものとの交通をはかる儀式的な行為であるということができる。いわば、そこにおいて、見えない聖なるものへの〈回路〉が開かれるのである。いろいろな〈論〉は、したがって、たがいにきびしく批判し合うことはあるにしても、〈回路〉をめぐる議論であることにおいては、一致している(異なるのは、どのような〈回路〉を提示するのかということである)。
 もちろん、〈回路〉をめぐる議論にも、口吻の温度差のようなものはある。あるいは熱っぽく、あるいは冷めた口調で、〈回路〉を語る。それは、論者の資質(見えないものにたいする感性)によるところもあると思われるが、論者が〈回路〉を生きたものとして評価しているか、たぶんに形式化したものとして評価しているかにもかかっていると思われる。しかし、いずれにしても、あまたの「論」は、折口にならっていえば、〈回路〉の「本義」をめぐる議論であることにかわりはない(いうまでもなく、折口信夫に「大嘗祭の本義」がある)。
 さて、どのような回路を提示するにしても、秘されている〈回路a〉〈回路b〉を提示する場合に、論者のとるべき方法は、実見できる〈回路A〉〈回路B〉に依拠するという方法であると思われる(「実見できる」というのは、文献やフィールドワークなどから確認できるということである)。つまり、実見できる〈回路A〉〈回路B〉から、それをスライドさせるようにして、〈回路a〉〈回路b〉を推論するのである(言葉をかえていえば、論者のどの一人として、みずから〈回路〉を空想したり創案したりしているのではない)。
 主な「論」をふりかえろう。折口信夫(「大嘗祭の大義」、1928)は、『日本書紀』の高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を衾(ふすま=夜具)に包んで天孫降臨させたという記事に依拠しつつ、天皇霊を新天皇に付着させるための物忌みの儀礼として「真床襲衾論」を展開する。谷川健一(『大嘗祭の成立』、1990)は、沖縄各地の稲作儀礼の実地見聞から(さらに、アジア各地にまで視野をひろげて)、稲魂を稲に付着させそれを食べるという初穂儀礼の原義を「大嘗祭」に透視する。岡田精司(『古代王権の祭祀と神話』、1970)は、『古事記』などの采女による服属儀礼を示唆する記事(御酒・御饌の供進など)から、その延長上に天皇との性的営為をも想念するいわゆる「神婚説」を展開する。吉野裕子(『大嘗祭−天皇即位式の構造−』、1987)は、「大嘗祭」の執りおこなわれる時刻や「大嘗宮(悠紀殿・主基殿)」の建造物としての方位の考察から、陰陽五行(古代中国の宇宙論)の聖なる運行(秩序)の「秘跡」を「大嘗祭」に読みとろうとする。

 さて、ここでなにが主張したいかといえば、〈回路A〉〈回路B〉……〈回路n〉という数列である。秘された「大嘗祭」を論じるというだけのことで、まるで磁石に引きよせられるかのように、実見できる多様な〈回路〉が集合してくる。先に、「思うところがある」と述べたのは、とりもなおさず、この多様性についてである。この多様性そのものはなにを意味しているのであろうか。〈回路〉の当否だけに拘泥するのではなく、このような問いを立てることも、あながち、意味がないわけではないであろう。
 そこで、多様な〈回路〉が存立するということの一般的な条件とはなにか、考えてみようと思う。どのような条件のもとで、〈回路〉が多様になるのか(なりうるのか)、とりあえず、ここでは、二つの条件を考えてみたい。

 まず、一つ目の条件である。
 神や霊の見えないものと交通する〈回路〉が多様に開かれうるということは、見えないそれらとなんらかのかたちで接触するツール(道具)が幅広くあるということである。やや卑近な表現かもしれないが、たとえば、棚を拵えては、霊をむかえ、灯籠を流しては、死者をしのび、餅を食べては、神の恵みにあずかり、水に浴しては、神的ななにものかによって清められるといった具合にである。つまり、〈回路〉の多様性に内在するある種の哲学的な態度があるとすれば、それは、神や霊の見えないものと交通するに、あらゆる機会を設けようとする寛容な(ある意味では、ルーズな)態度であるということができる。神や霊の見えないものを、感覚的なものあるいは身体的なものを介して、なんとか身近なものにしようとするおおらかな姿勢といってもいい。
 ちなみに、こうした態度や姿勢の背景には、おそらくは、身体的なものや感覚的なものを否定的(価値の低いもの)にとらえない自然観(宇宙観)があると思われる。そうでなければ、たんなる食材を食べ、たんなる物質である水に浸かって、なにになるというのであろうか。
 とまれ、身体的(感覚的)な次元にかかわる〈回路〉の敷設にたいして寛容であること、これが、第一の条件である。

 次に、第二の条件である。
 それは、見えないものの高さ、神や霊の高さに関することである。どういうことかといえば、もし、神や霊の見えないものが、感覚的な世界を超絶したきわめて高いところに思念されているとすれば、いくら〈回路〉の敷設に寛容であったとしても、それらを感覚的なあるいは身体的なものの領域にいわば引きずりおろす(あるいは、感覚的なあるいは身体的なものの領域と交差させる)のは、原理的に、困難にならざるをえないであろう(また、そうするにしても、それなりの論理や理屈が必要となるであろう)。神をおいそれと身体的なあるいは感覚的な世界へと近づけることはできないのである。反対に、神の高さがそれほどではないところに位置づけられているとすれば、たとえば、見えるものの〈はて〉や〈きわ〉のようなところに思念されているとすれば、近づけるのは、もちろん、よりたやすくなるであろう。つまり、見えない神や霊を、感覚的なものや身体的なものを介して、暗示したり、標示したりしやすくなるのである。これまたやや卑近な表現かもしれないが、たとえば、笛を吹けば、霊は依りつき、太鼓をたたけば、死霊は鼓舞され、柱を立てれば、神は降るといった塩梅にである。
 とまれ、神や霊の見えないものがほどよい高さにあること、これが、第二の条件である。

 どうであろうか。
 〈回路〉の多様性ということのうちに、すでに、ある哲学が胚胎されてはいないであろうか。身体的なものや感覚的なものをどう価値づけるのか、神や見えないものを全体としての世界図のなかでどう位置づけるのか、つまり、世界とどう向きあうのか、すでに、そこに、ある哲学が胚胎されている。
 そのような哲学を現代風に蘇生させることはできないか。それはどのような哲学になりうるのか。梅雨で忌籠もりをしながら、雑感のきわまるところ、そのような想念に身も心も遊ばせている。


* コメントは受け付けていません。