「人は、神話を再構築するべきなのか?」
池野絢子(教員)
ドイツのハノーファー出身のダダイスト、クルト・シュヴィッタース(1887-1948)。その彼がライフワークとした作品「メルツバウ(メルツ建築)」は、廃物やがらくたのアッサンブラージュ、および白い板と石膏の幾何学的立体からなる、複合的構築物である。1923年、シュヴィッタースはハノーファーにあったアトリエ兼住居でその制作を始め、以後10年以上にわたって室内空間を徐々に変容させていった。メルツバウはシュヴィッタースの生涯、4度にわたり別の場所で制作されているが、この最初の、もっとも長期間にわたり制作されたメルツバウ(ハノーファー・メルツバウ)は、大戦のさなかに爆撃によって失われている。
ところで、モダン・アートの歴史に名を残すこの失われた一大作品には、「レプリカ」が存在する。それは、現在ハノーファーのシュプレンゲル美術館に収蔵されているもので、スイスのデザイナー、ペーター・ビッセガーの手により1983年に実現された。ビッセガーは、キュレーターのハラルト・ゼーマンから、1983年の展覧会「総合芸術作品への志向——1800年以降のヨーロッパのユートピア」展に出展するためにメルツバウの原寸大の再構築を依頼され、これを請け負ったのであった(なお、同展覧会にはメルツバウの他にも、ウラジーミル・タトリンの「第三インターナショナル記念塔」の模型などの再構築が複数出展されている)。
確認するまでもないことだが、過去に制作された芸術作品をもう一度制作しようとする場合、そこには常に、作品のオリジナリティをめぐる問題がつきまとう。メルツバウの場合、先述の通り、実物は物理的には大戦のさなかに失われており、さらには芸術家自身もすでに他界している。加えて問題なのは、メルツバウが、ワーク・イン・プログレスの、永遠に未完成の作品として創造されたものであったという点だ。そのような状況で、この作品のある時点での姿を、他者の手によってもう一度作り直すことは、いったい何を意味するのだろうか。再構築をビッセガーに依頼したゼーマンは、当初からその行為が孕む問題に自覚的であった。「人は、神話を再構築するべきなのか?永遠の創造のプロセスを、静止した一つの状態にとどめおくことは可能なのだろうか?…」(Szeemann, 1986: 256)。しかし、ゼーマンは結局、この奇妙な建築の内部でせめて一晩過ごしてみたいという願望を実現させるため、「自己中心的な展覧会の組織方法にしたがって」、再構築へと向かうことになる。
さて、ゼーマンから依頼を受けたビッセガーは、主として1933年に撮影されたハノーファー・メルツバウの3枚の写真資料と、クルト・シュヴィッタースの息子エルンスト・シュヴィッタースの助言を手掛かりに、この困難な仕事にとりかかった。ビッセガーが後に記した文章によると、写真からだけでは全体の縮尺が明らかでないこと、それにオブジェと室内空間との境がどこにあるのかがわからないことが、とりわけ問題だったようだ。そこで彼は、3枚のうち2枚の写真に共通して登場するオブジェを手掛かりに、カメラの焦点距離と撮影に使用されたレンズを特定し、さらにはそこから、全体の寸法を計算によって導き出した。また、白黒の写真ではわからない色や照明の位置は、息子のエルンストの記憶を頼りに再現された。他方、「洞窟」と呼ばれる構造体の各所に空いた穴に嵌め込まれていた様々なオブジェは、複製することが不可能だったため、拡大した写真複製が代わりに用いられた。こうして完成したメルツバウの再構築は、1983年の展覧会のあとシュプレンゲル美術館によって購入されている(なお1988年には、巡回用の「トラベル・コピー」、すなわち第二の再構築が同じビッセガーの指導の下に制作されている)。
ではこの再構築は、人々にどのように受けとめられただろうか。修復士のバルバラ・フェッリアーニの報告するところによれば、この再構築は、多くの誤解を惹起することになったという。ビッセガーの再構築は、オリジナルと異なり、もっとも外側の構造体が外部から見えるようになっており、さらには入り口付近に大きな鏡と「MERZBAU」という文字を付加していた。美術館を訪れた鑑賞者の多くは、それがオリジナルと同じ状態であると考えたり、はたまた、再構築であることが明記されているにもかかわらず、それをオリジナルのメルツバウそのものとして認識してしまった。そこで、シュプレンゲル美術館の学芸員たちは、この再構築がオリジナルと見なされる危険性を回避するために、外部から見えないよう壁によって覆い、再構築の経緯やオリジナル作品についての詳しい情報を鑑賞者に示すべきだと考えた。しかし、再構築作品の設置に関する「著作権」を有するビッセガーは当初はこれに応じず、議論が重ねられることになったという。
ここで私は、この一件について、あるべき展示の仕方を論じるつもりはない。むしろ興味深いのは、ゼーマンやエルンスト、そしてとりわけビッセガーの再構築への関与の仕方の方である。彼らはもちろん、メルツバウの作者ではないが、再構築という手続きを経ることで、いわば「第二の作者」とも言うべき立場に、自らを位置付けることになったのではないか。実際、ビッセガーは、メルツバウの再構築を完成させるまでに2年間の時間をかけているのだが、その「ゆったりした、忍耐のいる仕事」についてこう述べている。「1981年にはじまって、一年は頭を使う、グラフィックの仕事に。もう一年は、それを三次元に翻訳することに費やした。背後にある時間、という四つめの次元を忘れることなく。時間の強迫観念。」(Bissegger, 1994: 368)。このように言う時、ビッセガーは明らかに、シュヴィッタース自身が10年以上の長い時間をかけた創造行為のプロセスに巻き込まれている。恐らくは、メルツバウの再構築にとって、時間をかけてシュヴィッタースの手順をなぞろうとすることは、必要な条件だったのである。たとえそれが必ずしも、全体の外観にとっては意味を持たないことであったとしても。
近年、現代アートの展覧会では、過去の作品や展示の再構築を掲げたものが少なくない。シュヴィッタースのメルツバウの再構築は、この種の試みとしては早いものにあたり、かつ、抜き差しならない問題を孕んでもいるだろう。再構築は、知られざる歴史に新たな光を投げかけることを可能にする。しかし、「再構築」という行為において真に賭けられているものは、シュヴィッタースの手順をなぞろうとしたビッセガーや、あるいはまた、一晩だけでもメルツバウのなかで過ごしたかったというゼーマンにとってそうだったように、失われ/生成する時間の経験なのではないだろうか。
興味を持たれた方に:
メルツバウの再構築の経緯とその問題点は、以下の英語記事に詳述されています。
Karin Orchard, “Kurt Schwitters: Reconstructions of the Merzbau,”
Tate Papers, no.8, Autumn 2007
http://www.tate.org.uk/research/publications/tate-papers/08/kurt-schwitters-reconstructions-of-the-merzbau
上記以外の参考文献:
Bissegger, Peter, “Notes sur la reconstruction du Merzbau et de trois sculptures de Schwitters,”
Kurt Schwitters, Paris: Éditions du Centre Pompidou, 1994, pp.368-369.
Ferriani, Barbara, “Come tramandare un’ idea,” in Ferriani, Barbara e Pugliese, Marina,
Monumenti effimeri: Storia e conservazione delle installazioni, 2009, pp. 92-129.
Szeemann, Harald, “Die Geschichte der Rekonstruktion des MERZbau(1980-1983), ”
Kurt Schwitters 1887-1948, Berlin: Propyläen, 1986, pp.256-257.