拈華微笑2014(1):汎書斎
梅原賢一郎(芸術学コース教員)
以前、書斎は家の片隅にあった。そこへは階段をあがり廊下をわたりようやくたどりつくことができた。切りとられた窓からは遠くに京都の夜景が見えた。わたしは、家のなかにあっても、宙に浮いた実験室のようなところで、比較的若い勉学の年月を過ごした。
家の中心部には子どもたちがいた。生活にいちばん密接している台所や居間は、いつも子どもたちの〈騒動〉の場所であった。3人で徒党を組んだり、2対1、1対2に仲間割れをしたり、悪戯や喧嘩はたえなかった。かくれんぼや鬼ごっこは彼らにとってかならずしも外でやる遊びではなかった。お目当ての人が来たり、珍しいものでも届くと、長兄を先頭に一目散に玄関まで走り、甲高い歓声はもちろん階上まで響き渡った。
書斎は、したがって、仕方なしに家の片隅に設けられていたといってもいい。彼らのエネルギーの坩堝のなかで、読んだり書いたりすることは至難のわざであった。わたしは、床と扉で階下の〈騒動〉を隔てて、ぽつねんと京都の夜景を眺めているのがつねであった。
……あれだけ賑やかだった家もいまはがらんとしている。3人の子どもたちは社会人となり巣立っていった。わたしは、いつものように階段をのぼりおりしていたが、しんとした家のなかで、ある日ふと思った。もう、こんなに〈遠距離通勤〉をする必要はないのではないか。明け渡していた中心部に主人が戻ってきてもいいのではないか。熱いコーヒーをそのまま啜れる距離のなかで、読書をしてもいいのではないか。合間に、野菜を刻んだり、魚を焼いたりして、それなりのリズムを整えながら、勉学に励むのもいいのではないか。こうしてたちまちのうちに、家中が書斎に侵略されていった。ダイニングテーブルにも手元を明るくする電気スタンドがおかれ、台所の鍋や薬罐のノイズは小型スピーカーから小音で流されるバロック音楽で鎮まっていった。柔らかいソファが占めていた居間にも、どしっとした木製の机がおかれ、格好の書斎空間に変貌していった。ベッドルームにさえ、寝床で思いつかれた着想や魘され目を覚まされた夢をすぐに書きとめられるように、小さな机がおかれた。
こうして、〈汎書斎〉は次々に実行されていった。そして、変化してきたことがある。それぞれの机に用務が割り当てられる。机が増えただけ用務のはばも広がってくる。余裕ができたらこういうこともしたいなあと思っていた用務も一つの机に割り当てられることになる。また、「宙に浮いた実験室」から台所や居間におりてくることは、隠喩的には、下界や娑婆におりてくることである。皿を洗ったり、調理をしながらの作業は、勉学内容や態度にも影響を及ぼしてきているのではと思うようになった。高説をたれるような浮ついた態度がちょっとでもあったとしたらそれはどうかと…。
さあ、〈汎書斎〉からの多種の産物をみなさんにも届けたい。それが、いまのわたしのいちばんの願いである。
*記事初出:『雲母』2014年5月号