梅原賢一郎(芸術学コース教員)
以前、書斎は家の片隅にあった。そこへは階段をあがり廊下をわたりようやくたどりつくことができた。切りとられた窓からは遠くに京都の夜景が見えた。わたしは、家のなかにあっても、宙に浮いた実験室のようなところで、比較的若い勉学の年月を過ごした。
水野千依(芸術学コース教員)
漆黒の背景に優美に佇む聖母子。今春、東京の駅構内や車内で、その姿を目にした人は多いだろう。国立西洋美術館で開催されている『ラファエロ展』の顔となる《大公の聖母》だ。左腕にイエスを抱く立像は、東方正教会が「神の母(テオトコス)」の表現として確立した聖母類型のひとつ「ホデゲトリア型」に倣っている。しかしラファエロの作品では、金地や厳格な正面観などビザンティン美術に特有の超越的な聖性を顕示する要素は抑制され、幼子は溌剌とした視線を画面の外に注ぎ、聖母は目を伏し静謐な微笑みを浮かべている。
金子典正(芸術学コース教員)
あと1ヶ月もすれば秋も深まり、今年もまた美しい紅葉の季節がやってきます。スクーリングなどで瓜生山キャンパスを訪れ、足をのばして楽しむ方も多いと思います。大学付近では曼殊院、真如堂、下鴨神社などが綺麗ですね。東山では永観堂、南禅寺、清水寺などが定番です。そして全国的に有名な場所といえばやはり通天橋の紅葉で名高い東福寺があげられます。
金子典正(芸術学コース教員)
今回の私の拈華微笑は、昨年の同時期に掲載した文章をそのまま引用します。これはスクーリング以外でなかなか皆さんとお会いできない私からのメッセージです。今年の3月、卒業式後の「卒業生を送る会」の席上で、みなさんの先輩からも「共感した」というお声をいただきました。参考にしていただければ幸いです。
三上美和(芸術学コース教員)
連休も終わり、新緑のまぶしい季節です。四季折々の花を眺めるのは楽しいものですが、花をテーマに作品を描いている画家にとって、天候、気温の具合でスケッチ旅行の日程が左右されるため、楽しいどころではありません。一度見逃すと次にスケッチできるのは一年後だから、天気予報とカレンダーをにらむ毎日。これは、先日お会いした日本画家の話です。この時印象に残ったエピソードを紹介します。
加藤志織(芸術学コース教員)
上(タイトル)の一文はイタリア・ルネサンス美術を専門に研究する美術史家ブルース・コールが著書『ルネサンスの芸術家工房』(ぺりかん社)において語っている言葉です。この書籍は、社会における芸術家の位置づけ、制作技法、美術作品の需要などについて、実証主義的にわかりやすく論じた良書です。
熊倉一紗(芸術学コース教員)
今回の拈華微笑は、デザインにまつわる書籍の紹介をしたいと思います。今年の9月20日に大きな話題とともに発売されたiPhone 5cをお持ちの方もいらっしゃることでしょう。5色からなる目にも鮮やかな色彩は、スマートフォンに興味がない方でもCMなどで見かけたことがあるのではないでしょうか。AppleのWebサイトでは次のようなコピーが訴えかけます。「この色は、あなたです。色は単なる色ではありません。それは、自分の感情を表すもの。考えを示すもの。こだわりを見せるもの。あなたの個性を伝えるもの。」5つの色はそのための色だというわけです。
梅原賢一郎(芸術学コース教員)
日本の仏教思想の書物のなかで、道元の『正法眼蔵』は、難解中の難解とされているようです。素人はもとより、専門家も「敬して遠ざける」のが一般的かもしれません。
難解とされるときの言い分もいろいろあるようです。一つは、「悟りの境地は凡人ではとても及ばない」という先走った讃歎がしからしめる「難解で当然だ」というやや投げやりな態度がもたらすものということができるかもしれません。一つは、もっと実際的で、字面を追おうとしても追うに追えない(非)論理の抵抗に出遭い、既得の読解法ではもうこれ以上進めないという断念に裏打ちされた「難解」というレッテル付けでありましょう。
金子典正(芸術学コース教員)
そもそも研究というものは孤独な作業です。なので、ときどきやめたくなる、くじけてしまう、長く調べものを続けてもいっこうに答えが見つからない、いいことなんて何もない。もういい。もういやだ! そうなってくると、私はよくふて寝をします。
小林留美(芸術学コース教員)
“辞書によると、「美学」とは美の本質や構造を解明する学問である”。 “辞書によると、「イメージ」は、心の中に思い浮かべる像、心象、姿、形象、とある”。 学部共通専門教育科目「美学概論」で提出されるレポートを読んでいると、その最初の方でこのような一節を目にすることがよくあります。