拈華微笑2014(3):長崎で考えたこと

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年6月28日

三上美和(芸術学コース教員)

 連休中初めて訪れた長崎では、復元された出島を楽しみにしていました。大学時代(相当昔ですね)、日本美術史の先生から、出島の復元が決まったことをうかがい、それ以来、よく知られている川原慶賀の出島の絵を立体にしたらどんなだろうと想像を膨らませていました。

 そして当日、路面電車に揺られて数分して着いた出島は、思ったよりずっと規模の小さなものでした。現在、十棟の建物が当時の工法通りに復元されているのですが、中に入ってみると、ガランとした空間に当時の様子の写真や、発掘現場から出てきた生活用具等が展示されていたのも、勉強になる反面、やや興ざめな印象でした。

拈華微笑2014(2):アルプスの祠たち

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年5月26日

水野千依(芸術学コース教員)

 この文章が届くころには新年度も始まり、瑞々しい新緑の季節になっていることでしょう。みなさんは、心新たに今年度の履修計画を立てていらっしゃる時期でしょうか。

 もっとも、研究というのは計画通りにはいかないもの。そのもどかしさは誰しも経験されていることでしょう。私自身もこの数年、調査の機会を逃してきましたが、ようやく去る三月、まだ木々が芽吹きはじめ、寒暖を繰り返しながら春の訪れを待っていた時期に実現することができました。

拈華微笑2014(1):汎書斎

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年5月2日

梅原賢一郎(芸術学コース教員)

 以前、書斎は家の片隅にあった。そこへは階段をあがり廊下をわたりようやくたどりつくことができた。切りとられた窓からは遠くに京都の夜景が見えた。わたしは、家のなかにあっても、宙に浮いた実験室のようなところで、比較的若い勉学の年月を過ごした。

拈華微笑2013(2):作品をみること

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年4月10日

水野千依(芸術学コース教員)

 漆黒の背景に優美に佇む聖母子。今春、東京の駅構内や車内で、その姿を目にした人は多いだろう。国立西洋美術館で開催されている『ラファエロ展』の顔となる《大公の聖母》だ。左腕にイエスを抱く立像は、東方正教会が「神の母(テオトコス)」の表現として確立した聖母類型のひとつ「ホデゲトリア型」に倣っている。しかしラファエロの作品では、金地や厳格な正面観などビザンティン美術に特有の超越的な聖性を顕示する要素は抑制され、幼子は溌剌とした視線を画面の外に注ぎ、聖母は目を伏し静謐な微笑みを浮かべている。

金子典正(芸術学コース教員)

 あと1ヶ月もすれば秋も深まり、今年もまた美しい紅葉の季節がやってきます。スクーリングなどで瓜生山キャンパスを訪れ、足をのばして楽しむ方も多いと思います。大学付近では曼殊院、真如堂、下鴨神社などが綺麗ですね。東山では永観堂、南禅寺、清水寺などが定番です。そして全国的に有名な場所といえばやはり通天橋の紅葉で名高い東福寺があげられます。

拈華微笑2013(4):考えつづけること

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年4月10日

金子典正(芸術学コース教員)

 今回の私の拈華微笑は、昨年の同時期に掲載した文章をそのまま引用します。これはスクーリング以外でなかなか皆さんとお会いできない私からのメッセージです。今年の3月、卒業式後の「卒業生を送る会」の席上で、みなさんの先輩からも「共感した」というお声をいただきました。参考にしていただければ幸いです。

三上美和(芸術学コース教員)

 連休も終わり、新緑のまぶしい季節です。四季折々の花を眺めるのは楽しいものですが、花をテーマに作品を描いている画家にとって、天候、気温の具合でスケッチ旅行の日程が左右されるため、楽しいどころではありません。一度見逃すと次にスケッチできるのは一年後だから、天気予報とカレンダーをにらむ毎日。これは、先日お会いした日本画家の話です。この時印象に残ったエピソードを紹介します。

加藤志織(芸術学コース教員)

 上(タイトル)の一文はイタリア・ルネサンス美術を専門に研究する美術史家ブルース・コールが著書『ルネサンスの芸術家工房』(ぺりかん社)において語っている言葉です。この書籍は、社会における芸術家の位置づけ、制作技法、美術作品の需要などについて、実証主義的にわかりやすく論じた良書です。

熊倉一紗(芸術学コース教員)

 今回の拈華微笑は、デザインにまつわる書籍の紹介をしたいと思います。今年の9月20日に大きな話題とともに発売されたiPhone 5cをお持ちの方もいらっしゃることでしょう。5色からなる目にも鮮やかな色彩は、スマートフォンに興味がない方でもCMなどで見かけたことがあるのではないでしょうか。AppleのWebサイトでは次のようなコピーが訴えかけます。「この色は、あなたです。色は単なる色ではありません。それは、自分の感情を表すもの。考えを示すもの。こだわりを見せるもの。あなたの個性を伝えるもの。」5つの色はそのための色だというわけです。

拈華微笑2013(1):拈華微笑

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年4月10日

梅原賢一郎(芸術学コース教員)

 日本の仏教思想の書物のなかで、道元の『正法眼蔵』は、難解中の難解とされているようです。素人はもとより、専門家も「敬して遠ざける」のが一般的かもしれません。

 難解とされるときの言い分もいろいろあるようです。一つは、「悟りの境地は凡人ではとても及ばない」という先走った讃歎がしからしめる「難解で当然だ」というやや投げやりな態度がもたらすものということができるかもしれません。一つは、もっと実際的で、字面を追おうとしても追うに追えない(非)論理の抵抗に出遭い、既得の読解法ではもうこれ以上進めないという断念に裏打ちされた「難解」というレッテル付けでありましょう。