聖像を見る/観る

カテゴリー: 愉快な知識への誘い |投稿日:2014年7月20日

水野千依(芸術学コース教授)

 春まだ浅い季節に久しぶりに海外調査に出かけた。そのなかで、ルネサンス期に国際的な規模で巡礼を集めたフィレンツェのある聖堂に立ち寄る機会があった。そこには、数々の奇跡を起こしたことで名高い聖母像が存在する。十五世紀には人々の信心を高めるために聖像の展覧が制限され、以後、壮麗な壁龕のなかに隠されてきた。代わってこの聖母の図像を下敷きにした複製が数々の聖堂の壁や板絵に描かれ、さらに、信者たちが納めた奉納用の蠟細工や等身大人形が所狭しと積み上げられ、不可視の領域に身を潜めた聖母像の力や威厳を顕在化させていたことが知られている。

拈華微笑2014(2):アルプスの祠たち

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年5月26日

水野千依(芸術学コース教員)

 この文章が届くころには新年度も始まり、瑞々しい新緑の季節になっていることでしょう。みなさんは、心新たに今年度の履修計画を立てていらっしゃる時期でしょうか。

 もっとも、研究というのは計画通りにはいかないもの。そのもどかしさは誰しも経験されていることでしょう。私自身もこの数年、調査の機会を逃してきましたが、ようやく去る三月、まだ木々が芽吹きはじめ、寒暖を繰り返しながら春の訪れを待っていた時期に実現することができました。

蛙のイコノグラフィ? 

カテゴリー: 愉快な知識への誘い |投稿日:2014年4月27日

水野千依(芸術学コース教授)

地中海世界に棲息する動物について書くというお題をかつて与えられたことがある。そのとき、私が選んだのは、蛙。かならずしも地中海文化を代表する動物とはいえないとしても、蛙は古来、奇跡的治癒力や抗毒力が見込まれ、固有の伝説を生み出してきた興味深い存在である。

そのことを示すのが、数々の護符である。イタリアのアブルッツォ州、ウンブリア州南部、マルケ州では、魔術(兇眼、妖術、呪いなど)から身を守るために、蛙をかたどった銀の護符を身に着ける習慣が古くから存在した。異教的呪術性を帯びたこうした護符は、キリスト教に容認されはしなかったものの、実際には広大な普及をみた。

公開講座:「イタリア・モードは死なず」

カテゴリー: お知らせ |投稿日:2014年4月19日

今年も下記の日程で芸術学コース主催の公開講座を開催いたします。今回の講座では水野千依教員をファシリテーターとし、イタリア服飾史と色彩象徴論がご専門の伊藤亜紀先生をお招きし、以下のテーマでお話しいただきます。受講料は無料、事前申込みも不要ですので、みなさん、奮ってご参加ください。芸術学コース以外の方、一般の方、どなたでも聴講可能です。

 

 「イタリア・モードは死なず」

  伊藤亜紀先生(特別講師:国際基督教大学教養学部教授)

  • 日時:2014年5月18日(日)15:00~17:00(開場14:30)
  • 開場:京都造形芸術大学(東京・外苑キャンパス)
  • 入場料無料/事前予約不要

 

…詳しくは、こちらのPDFをご参照ください【PDFファイル】

拈華微笑2013(2):作品をみること

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年4月10日

水野千依(芸術学コース教員)

 漆黒の背景に優美に佇む聖母子。今春、東京の駅構内や車内で、その姿を目にした人は多いだろう。国立西洋美術館で開催されている『ラファエロ展』の顔となる《大公の聖母》だ。左腕にイエスを抱く立像は、東方正教会が「神の母(テオトコス)」の表現として確立した聖母類型のひとつ「ホデゲトリア型」に倣っている。しかしラファエロの作品では、金地や厳格な正面観などビザンティン美術に特有の超越的な聖性を顕示する要素は抑制され、幼子は溌剌とした視線を画面の外に注ぎ、聖母は目を伏し静謐な微笑みを浮かべている。

拈華微笑2012(2):志のゆくえ

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日:2014年4月1日

水野千依(芸術学コース教員)

 そよ吹く風が心地よい新緑の季節、みなさん、いかがおすごしでしょうか。  新入生は、ガイダンスと履修計画を終えて、ようやくテキストと格闘しはじめる頃でしょうか。在学生のかたも、今年こそはと、心新たに課題に取り組んでおられることと思います。学習のペースをつかむまでは誰しも大変ですが、自分なりの環境と時間をつくって、無理のない形で進めていきましょう。

水野千依(芸術学コース教員)

 芸術と宗教が袂を分かって久しい今日、ふたたびその分水嶺に立ち戻り、像の地位や機能を歴史人類学的に問い直そうとする動きが美術史学において高まっている。本書もまた、造形芸術が自律性を獲得する以前に多くの崇敬を集めた聖遺物に目を向け、「もの」と「像」との複雑な価値付与のメカニズムと崇敬の身ぶりを広範に論じた示唆に富む一冊である。

フィレンツェでの美術史修行

カテゴリー: 過去サイトの記事 |投稿日:2009年5月1日

水野千依(本学准教授)

盛夏の候、今年も夏の集中スクーリングが目白押しにはじまる季節となりました。皆様、いかがおすごしでしょうか。暑さも加わり、ただでさえ疲れやすい時期ですが、どうか体調を整えられて、夏を乗り切って下さい。

さて今回は、私がフィレンツェに留学していた頃の美術史の学習についてお話したいと思います。そもそもフィレンツェといえば芸術の都、どの通りを歩いてもさまざまな時代のモニュメントや造形物に溢れかえっており、街全体がいわば美術館のような都市です。日本で得られる作品の知識は、当時はインターネットもなく、今よりはるかに限定されており、まずこの膨大な数の造形物を前にただただ圧倒され、自分の知識の乏しさを思い知りました。とにかく秋にはじまる新学期までは、京都に比する盆地ならではの炎暑のなか、街中をくまなく歩き回ったことを思い出します。

水野千依(本学准教授)

 マイケル・カミールの研究を貫くテーマは「他者」の表象といっていいかもしれない。ゴシック美術の歴史を専門にしながら、つねに、従来等閑に付されてきたイメージの豊かな内包を掘り起こす著者による本書は、十三世紀に制作された写本に始まり、修道院、大聖堂、宮廷、都市などの文化的な「中心」から排除された「周縁=他者」に象られたさまざまなイメージに視線を向ける。