蛙のイコノグラフィ? 

カテゴリー: 愉快な知識への誘い |投稿日: 2014年4月27日

水野千依(芸術学コース教授)

地中海世界に棲息する動物について書くというお題をかつて与えられたことがある。そのとき、私が選んだのは、蛙。かならずしも地中海文化を代表する動物とはいえないとしても、蛙は古来、奇跡的治癒力や抗毒力が見込まれ、固有の伝説を生み出してきた興味深い存在である。

そのことを示すのが、数々の護符である。イタリアのアブルッツォ州、ウンブリア州南部、マルケ州では、魔術(兇眼、妖術、呪いなど)から身を守るために、蛙をかたどった銀の護符を身に着ける習慣が古くから存在した。異教的呪術性を帯びたこうした護符は、キリスト教に容認されはしなかったものの、実際には広大な普及をみた。

ここで注目したいのが、「蛙のイコノグラフィ(図像学)」である。美術史を志す身で戯言めいたテーマを立てることは憚られなくもないが、異教とキリスト教の狭間で、民衆的フェティシズムを刻む護符という領域において、「蛙」の図像がいかなる変容を受けたかという問いは、「芸術」作品の図像変遷からは見えてこない側面にたどり着く可能性を孕んではいないか、と大真面目に考えた次第である。

こうした視点に立つと、イタリアの人類学者ジュゼッペ・ベッルッチが蒐集し、現在、ペルージャ国立考古博物館に常設展示されている護符に、興味深い例を見出すことができる(図1)。まず蛙は、単体でも守護力を見込まれた。ユーモラスな形態が強調されるとはいえ、小蛙、蟾蜍など種類も識別できる護符が多い。一方で、蛙単体ではなく、三日月と象徴的に組み合わせた例も多い。本来、互いに無関係な形象だが、力ある像を関連づけることでいっそう強力な効果を期待されたことが想像される。なかでも目を引くのは、月に「JESVS+MARIA(イエス+マリア)」と刻まれている例である。異教的フェティシズムとキリスト教との妥協の産物といえようか。

 

図1

図1

 

しかし、キリスト教にとっては、こうした護符の根底にある異教性は払拭する必要があっただろう。そのことを示唆するのが、四つの護符(図2)である。そのうち上段の二つでは、三日月の上に表現されるはずの蛙は姿を消し、代りにキリスト教聖人がかたどられている。これは、アブルッツォ地方、とくにテーラモ地域で篤い崇敬を集めていた聖ドナートで、癲癇(聖ドナート病)や狂水病を予防・治癒し、兇眼の悪影響や魔術に対抗する無敵の聖人であった。こうした奇跡力によって、蛙に代わり聖ドナート像を伴う新しい護符が生み出されたようだ。ここで聖ドナートは、抗魔術的象徴である三日月を右手で握っている。興味深いことに、護符全体の形態、様式、細部は、古い護符をなぞっており、聖人像は蛙や蟾蜍(ひきがえる)の形象に重なるように見える。異教の呪術性をキリスト教の聖人崇敬という新たな文脈に移植させようとしつつも、未だそのプロセスを完遂できていないことを仄めかしているかのようである。

 

図2

図2

 

一方、下段の二つの護符では、呪術的象徴は一切取り除かれている。とくに右下の像は、それ以前の護符に積層してきたいかなる記憶も装飾性も排して、ただ祝福を授ける聖人像が単独で表現されている。もっとも、人々のフェティシズム的心性が、蛙に代わって聖ドナート像だけに信頼を寄せるまでには時間を要したことだろう。純然たるキリスト教的護符の最終段階に到達するには、辿るべき表現形式にも数々の中間段階が存在しただろうし、その展開自体も緩慢なものであったにちがいない。そのことは、「13」という魔術的数字と組み合わされた聖ドナートの護符の存在や、聖人の単独像を示す護符自体の稀少さにもうかがえよう。

このように、蛙を中心とする象徴体系がキリスト教の聖人崇敬へと次第に取り込まれ、いわば悪魔祓いされていく事例はほかにも存在する。その一例が、「蟾蜍の石」と呼ばれる呪物(図3)である。ヨーロッパ全土、特に北ヨーロッパでは、ある年齢(七歳)以上の蟾蜍の頭部に石ができ、それが格別の抗毒効果や予防力、診断力や治癒力を有すると信じられた。時にそれは、二〇〇〇万~二三〇〇万年前の魚類レピドテスの化石の歯だとする伝承も存在した。この石は、入念に練り上げられた儀礼行為を通じてのみ採取できるとされ、中世末から近代まで、この石を用いた治癒法が広まり、蟾蜍の石を嵌込した指輪を身に着ける慣習も流布し、その作例は現在まで数多く残されている。

 

図3

図3

 

しかしながらヨーロッパ中部から南部では、次第にレピドテスの化石の歯は蟾蜍の石ではなく、キリスト教の使徒聖パオロとマルタ島に関わる伝承に包含されていく。紀元六〇年頃、パオロたちは難破しマルタ島にたどり着く。島民たちは手厚く彼らを迎えた。パオロが乾燥した枝を集め火にくべたところ、その熱に目を覚ました蝮(まむし)が穴から飛び出し、彼の手を攻撃した。島民は、「遭難を逃れたばかりで、神の裁きが彼をなおも生かそうとされないとすれば、この者は善人ではないにちがいない」と考えた。しかしパオロが手を振り動かすと、蛇は燃え死に、聖人はいかなる危害も受けなかったため、彼らは考えを改めた。「この者は神にちがいない」と。その後、聖人は毒蛇から永遠に守護される恩恵をマルタ島に認め、その土地や海の化石にあらゆる毒を治癒する力を託した。この逸話から、「聖人・マルタ島・毒」を核とする複合的神話‐儀礼体系が練り上げられ、十八世紀半ばまで崇敬は存続した。そのなかで、蟾蜍の石は、聖パオロ崇拝と結びついた海の化石に形を変えて残存したのだ。

近代以前の迷信的で呪術的な領域において、図像は独特の論理を内包している。通常は関係のない図像が象徴的呪術力という次元で等価となり結び合わされる一方で、キリスト教化の流れの中で、類似する力を有する図像の間で「横滑り」現象がみられる。護符や呪物のみならず、キリスト教聖人の姿でかたどられている板絵や彫像の前世もまた、実は蛙だった、そんな歴史もありうるのかもしれない。

 


* コメントは受け付けていません。