今月の一冊:秋山聰『聖遺物崇敬の心性史―西洋中世の聖性と造形』 講談社選書メチエ、2009年

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日: 2011年8月20日

水野千依(芸術学コース教員)

 芸術と宗教が袂を分かって久しい今日、ふたたびその分水嶺に立ち戻り、像の地位や機能を歴史人類学的に問い直そうとする動きが美術史学において高まっている。本書もまた、造形芸術が自律性を獲得する以前に多くの崇敬を集めた聖遺物に目を向け、「もの」と「像」との複雑な価値付与のメカニズムと崇敬の身ぶりを広範に論じた示唆に富む一冊である。
 聖遺物とは、聖人の遺体や遺骨、遺灰、聖人が生前に身にまとったり触れたものをさすが、西洋中世においては、そうした「もの」に「ウィルトゥス(力)」が宿ると考えられ、死後の救済と奇跡を求めて聖遺物を擁する聖堂に赴く信者で巡礼路はあふれ返っていた。本書は、この聖遺物のパラドキシカルな力をめぐる思想を緻密な史料読解を通じて解きほぐすとともに、奉遷(トランスラティオ)における聖遺物の窃盗の逸話など、聖遺物入手の驚くべき実態が紹介される。なかでも興味深いのは、聖性という価値を自ら表明する手段を持たないこれら聖遺物がいかに価値を付与されたのか、その価値創出のメカニズムをめぐる議論である。そこで重要な役割を果たしたのが、聖遺物を収容した容器に代表される造形イメージである。本書では聖遺物容器の多様な形態が分類・紹介され、さらに聖遺物展観から聖遺物カタログまで、この崇敬にまつわる史料がつぶさに分析される。しかしそれにとどまらず、中世宗教美術史学の碩学ハンス・ベルティンクが「聖遺物とイメージとの同盟」とよぶ互恵関係を敷衍しつつ、造形イメージが聖遺物から次第に自律性を獲得し、芸術と遇された末に聖遺物化しはじめるという逆説的な経緯を鋭く指摘し、像の地位と価値の問題を再提起するあたりは、近年、国際的なシンポジウムを企画・主催し、第一線の研究者との対話を重ねている著者の思考が見事に結実した傾聴に値する提言といえよう。

*記事初出:『雲母』2009年12月号(2009年11月25日発行)


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