文献案内:日本の美術館の現在を考えるために

カテゴリー: 過去サイトの記事 |投稿日: 2004年8月25日

杉崎貴英(本学講師)

 今回は“日本の美術館の現在を考えるために”をテーマとしたい。もちろんテキスト『現代博物館学』(市販版は『現代美術館学』)や日比野秀男編著『美術館学芸員という仕事』『美術館と語る』(ぺりかん社、1994・99年)も多くの話題を提供しているが、いま少し周辺事情に目を配って4件を取りあげ、関連書にもふれてゆくことにする。
 

淡交社美術企画部編『私も美術館でボランティア』淡交社、1999年、1,600円(税別)、ISBN4-473-01700-1

 まず、ついに単独の一般書が出た、という印象を受けたこの本から。美術館におけるボランティア活動は北九州市立美術館を草分けとし、いまや列島各地で導入されている。本書はそのうち26館における事例のルポを柱とし、美術館学の立場からの寄稿も収録。活動の内容や方法、館側・参加者側のスタンスは様々であり、ボランティアの大きな可能性を教えてくれる。より大きな意味では、ひとは美術館とどう関わりあえるか、という命題へのヒントをいくつも見出すことができよう。
 関連書として金子郁容『ボランティア』中野民夫『ワークショップ』(ともに岩波新書)が挙げられるが、こうした博物館活動への市民参加は、故伊藤寿朗氏が提唱した“第三世代の博物館”論(『市民のなかの博物館』〔吉川弘文館〕『ひらけ、博物館』〔岩波ブックレット〕参照)ともリンクするものである。つきあわせて考えてみる価値があろう。
 

湯本豪一編『美術館・博物館は「いま」』(正・続)日外アソシエーツ、1994・96年、各1,922円(税別)、ISBN: 4-8169-1262-2, 4-8169-1342-4

 副題にそれぞれ「現場からの報告24篇」「機構・運営の理想と現実」とあることからもわかるように、一般には見えにくい部分も含めた博物館・美術館の全体像を、学芸員のみならず事務職を含めた舞台裏からのレポートによって知らしめようと企画された本。1990年前後に開館した東京・神奈川の公立館の職員が執筆にあたっている。正編では収集・保存・展示・調査研究・教育普及と、教科書も説く活動の諸側面に即して事例が報告されるが、広報・学芸員実習・ボランティアなどに関する現場担当者の声などは、あまり類書に登場してこなかった話題であろう。続編には建築・運営形態・設立準備・業務分担・職員の専門性・雇用形態といった、より現実的な面からの報告がなされている。「行政側から見た博物館」「財団経理の実態」についても一章を割く。
 博物館学の教科書などでの情報は、多くが表面的・皮相的である、と編者はいう。強烈な現状認識と問題提起が盛り込まれた本書から5年、ミュージアムを取り巻く状況は一層厳しく、さらに多くの論点が認識されるべきことは疑いないであろう。なおミュージアムの業界誌ともいうべき『博物館研究』(日本博物館協会、月刊)に、現場からの報告が逐次掲載されることを付記しておきたい。 
 

松本由理子『ちひろ美術館物語』講談社、1994年、1,456円(税別)、ISBN: 4-06-207071-5

 無垢な子供たちを描きつづけた絵本画家、いわさきちひろ。その自宅跡に建つのが、東京は下石神井の「いわさきちひろ美術館」である。「ちひろの心を伝えたい」という確かな思想にたつ活動は、飯沢匡・黒柳徹子ら著名人の共鳴も得て、小さな美術館の枠をこえた大きな成果を育んできた。本書は開館から現在まで、ちひろ美術館の可能性を模索してきた歩みを、舞台裏の眼差しでつづった手記である。館長を勤める長男猛氏の妻である著者自身の、半自叙伝的エッセイの趣ももつ。
 しかし単に心温まる回顧録とのみ読むことはできないだろう。家庭人として抱いた悩みさえ赤裸々に記してゆく著者の筆は、この個人的小規模館が直面した数々の運営上の問題点をも浮き彫りにしているからである。博物館学の関連書には少ない率直なドキュメンタリーとして、ちひろファンとはやや違った視点からも向き合ってみたい。なお舞台裏の回想といえば、公私立の女性学芸員の手記をあつめた『わたしの美術館』(大日本絵画、1990年)も忘れがたい一冊である。
 

奥村勝之『相続税が払えない』ネスコ、1995年、1,456円(税別)※品切、ISBN: 4-89036-890-6

「書き終えて、『これは僕の遺書だな』と思う」──「父・奥村土牛の素描を燃やしたわけ」という穏やかならぬ副題をもつ本書は、四男がつづった相続税との闘いの記録である。作品(資料)群の保存、個人コレクションの継承など、美術館学的理想論を離れて本書を読めば、誠にやるせない気分に襲われること間違いない。「美術品の価値、絵画の価値とはいったい何だろう?」闘いの渦中で著者は呟く。現代日本における個人所有の美術コレクションは、相続税によって遺族を押しつぶそうとしている。土牛が自らの手許に残していた作品群もまた、その例に漏れなかったのだった。
「悲劇を繰り返さないために」と著者は、美術品相続に関する新たな相続税制、「美術品の相続登録制度」を提案している。ここで想起されるのは、1998年施行の「美術品の美術館における公開の促進に関する法律」において定められた相続税の物納特例措置であろう。いわゆる「登録美術品制度」によるものであるが、それは奥村氏の提案とは目的と仕組みを大きく異にしている。本書はいまだ多くの問題点を訴え続けているといっていい。
 なお始まったばかりの登録美術品制度については、さしあたり『美術品公開促進法Q&A』(ぎょうせい、1999年)、『月刊ギャラリー』1999年6月号の特集のほか、登録者第1号となった荒俣勝行氏のHP(http://www1.ttcn.ne.jp/~aramataa/)を参照されたい。

*記事初出:『季報芸術学』No.13(2001年8月発行)


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