文献案内:絵巻に関するブック・ガイド
杉崎貴英(本学講師)
古美術のコレクションを扱う小さな美術館に勤めていた時、収蔵品に対する貸出や図版掲載の許可申請書から、改めて気づかされたことがあった。申請者の立場によって対象(モノ)をさす代名詞が違ってくるのである。たとえば同じ絵巻でも、他の美術館からの書類では「作品」「美術品」、一方、歴史系博物館の場合は「資料」「文化財」などと記していることが多かったのだ。美術館と狭義の博物館との違いがこんなところにも表れるわけだが、まあここまでは理解できた。ところがある日、まったく思いもしなかった第三の代名詞に出くわしたのである。調査の申し込みは説話文学の研究者から。そこで絵巻は、なんと「貴重書」と記されているではないか!
しかし考えてみると、ストーリーを絵と文字で綴っているからには、絵本がそうであるのと同様たしかに「図書」なのだ。美術とか文化財といった近代成立の概念よりも、ある意味では似つかわしいとさえいえるかも知れない。絵巻は他のジャンルの美術に比べて限りなく「本」に近い──となると、出版物による擬似的鑑賞体験の可能性を、絵巻は本来的にはらんでいるのではないだろうか。もっとも実情はそれほど簡単ではない。そのあたりに絵巻の特性も示されるのだけれど、そうした点にも注意しながら今回の文献紹介を始めよう。絶版が惜しまれる古典も多いが、ここでは比較的最近のものを、品切本も含めてとりあげてみたい。
絵巻について基礎知識を得られる本といえば、奥平英雄氏に好著『絵巻物再見』(角川書店)『国宝 絵巻』(保育社カラーブックス)があったが、今や絶版。「語り」と絵との関わりを概説する武者小路穣『絵巻の歴史』(吉川弘文館)は現役だが、より美術史的な入門書としてはカラー図版主体の本書を挙げたい。ジャンル別に全12冊からなる作品一点ごとにカラー図版を掲げ、コラムの形式で内容や造形上の特色を紹介する本シリーズは、「走る筆線」「季節と物語の呼応」「白描の清楚な美しさ」というように見どころがフレーズで提示され、エッセイに似た語り口ながらも充実した解説が付されていて親しみやすい。他の巻と違う点は、概説を問答形式によっていること、それから絵巻独自の事情として、図版では作品の全体像がうかがえないことであろうか。しかしそれは実際の展覧会場でも同じこと。名作をダイジェストで通観でき、鑑賞のよき道しるべとなる一冊である。
美術館の絵巻の実物にまみえた時、実物ならではの味わいに感嘆しながらも、描かれたストーリーをつかみにくかった経験をもつ向きは多いだろう。また絵巻は美術史ばかりでなく多方面から関心が寄せられてきたから、どのような絵巻が現存しているのか、絵巻のデータベースは刊行が待たれていたといえる。B5判578頁というボリュームで登場した本書は、数百点に及ぶ遺品について、主題と各場面の内容、美術史上の意義・問題点をまとめたもの。所蔵者や法量などの基本情報をはじめ、参考文献欄には全巻写真を含むものには*印が付されるなど、絵巻を調べる際の入口にも足場にもなるデータが集積されている。編集がかなり長期にわたったものか(刊行当時、監修者と編者の一人は物故されていた)、80年代から活況を呈した文献史学・国文学の側からの成果がいまひとつ吸収されていない憾みはあるが、美術史学側の成果が結集された工具書として誠に有用である。
先にふれたように、絵巻が冒頭から巻末まで展観される機会は少ない。そうした事情からみても、代表的な絵巻の全貌を初めてカラー図版で掲載した本シリーズは重要な存在である。正編・続編については『日本の絵巻』『続日本の絵巻』として普及版が(3,204〜7,000円〔税別〕)、また主要な作品はさらにハンディな版も刊行されている。図版を原寸とした巻もあり、間接的とはいえ全巻の鑑賞が体験できるし、何より良質な図版は研究を分析的に行うための基本材料となるものだから、本シリーズは絵巻研究に多大な貢献をもたらしたといって過言ではない。ただ当然ながら巻子本である絵巻の構成は冊子本に合致してはいない。そのため画面の真ん中で頁が変わっている箇所がかなり出てくる。こうしたやむを得ない事情によって考察のミスを起こした研究もあるから、本の図版で絵巻を考える際は心しなければならない。
絵巻の遺品のうち最も著名なものは、二千円札のデザインにもなった国宝[源氏物語絵巻](五島美術館・徳川美術館ほか分蔵)だろうか。戦後のやまと絵研究を推進してこられた著者による本書は、かの名品についての実証的研究をはじめとする王朝絵画論の大著『平安時代世俗画の研究』(吉川弘文館、1964年)のエッセンスがこめられた一般書である。顕微鏡観察やX線写真によって「作り絵」の技法が、文献と遺品の再検討によって「やまと絵」概念とその制作の実態が明らかにされてゆく過程は、名品からさまざまの証言をひきだす美術史学の魅力をも伝えてあまりある。「あとがき」にある、夕暮れの徳川美術館で絵巻を観た際の不思議な体験も興味深く、名品の奥行きを読者に感じさせる本書に趣を添えている。
なお源氏物語絵巻をはじめとする物語絵については、池田忍『日本絵画の女性像─ジェンダー美術史の視点から』〈ちくまプリマーブックス120〉(筑摩書房 2000年 ISBN: 4-480-04220-2 1,100円〔税別〕)など近年の成果に見逃せないものが多いが、絵巻に限定されないジャンルでもあるため改めて機会を設けたい。
絵画史料を積極的に中・近世史研究に活用してきた著者による、満を持しての「伴大納言絵巻」論である。
絵巻はしばしば漫画や映画、アニメと比較されてきた。それは安易な日本文化論に陥ってしまうことも多かったのだが、ここでは絵巻の楽しさをとらえなおした二書を挙げよう。前者は編集工学の松岡正剛氏の手にかかるシリーズの一冊で、「伴大納言絵巻」を切り貼りによって劇画仕立てとした綴じ込み付録が面白い。また後者は、スタジオジブリの監督による、院政期絵巻の画面の構造を作り手の視点からときほぐす挑戦。「カットバック」「アイリスイン」などといった用語の駆使に抵抗を感じる向きもあるようだが、このような映画の概念の応用は美術史学者である奥平英雄『絵巻の構成』〈アトリエ臨時増刊、1940年〉にすでに見られる。高畑氏の成果はそれをより徹底させた試みとして評価すべきであろうし、また絵巻の繰りひろげ方についてなど、新たな解釈が多く提示されているのも注意をひく。国文学や文化人類学からの絵巻研究で目につくような恣意的・予定調和的な読解に比べれば、絵巻の論理にのっとった画面構成の解釈はずっと説得力あるものに思われるが、いかがであろうか。なお高畑氏の論は、千葉市美術館で『絵巻物──アニメの源流』(1999年)と題した展覧会としても開催されている。
絵巻の画面は横へ横へと展開していくものだから、とくに連続式の絵巻では画面のつらなり自体が持ち味となる。それが冊子本では、頁の区切りによって損なわれてしまうのだ。その点、ビデオは絵巻の連続性を体感するにふさわしいメディアといえよう。前者のうちでは『信貴山縁起絵巻』がひときわ秀逸。命蓮聖の実像や毘沙門天信仰についてなど、絵巻の背景についてもわかりやすくガイドするが、最も魅力的な点は、常田富士男氏が詞書の現代語訳をナレーションしていることだろう。名手によって生命を吹き込まれた絵巻は、さながら「まんが日本昔ばなし」の如く新鮮に映る。
ただしビデオでの絵巻の鑑賞は受け身とならざるを得ない。絵巻では読み手にゆだねられるストーリー展開の速度が調節できないからである。何より、ビデオのなかで源豊宗氏も強調された絵巻の「左行性」と、それにもとづく画面の仕掛けが解体されてしまっているのは致し方ないことだろう。
高畑監督は前掲書において、主要な絵巻についてはできれば巻子本で、少なくとも折本で図版が公刊されることを望んでいる。そうでなくては、横に連続する本来的な画面展開を手にとって体感することができないからだ。
京都国立博物館のミュージアム・ショップで右の折本が眼を惹いた。カラーオフセット印刷で造本も豪華だが、「名品選」において複数巻からなる絵巻はうち1巻のみが対象となっているなど物足りなさもある。何より価格の高さは仕方のないことなのだろうか。その点、昨年秋の『天神さまの美術』展に際して販売された「北野天神縁起絵巻」の折本は安価であったし、またサントリー美術館編『国宝信貴山縁起絵巻』展図録(1999年)は、3巻からなる絵巻すべてをカラー図版の折本にまとめ、しかも2,000円という安さを実現していた。展覧会という大量部数販売が見込める機会に連動して、絵巻を疑似体験しうる出版物が今後も登場することを期待したい。
国宝や重文を手にとることが叶わないなら、たとえレプリカでも、巻子本の体裁をなした絵巻をくりひろげることで体験できる「絵巻のよさ」はあるはずである。すでに戦前から、大和絵同好会や芸術資料刊行会による巻子装の絵巻複製・出版は行われているのだが、すでに絶版である上、古書価もかなり高いのがうらめしい。これは京都国立博物館などのミュージアム・ショップで買える商品。美術印刷の老舗・株式会社便利堂が誇るコロタイプ印刷の技術によっており画像の質は高い。同社は他にも[信貴山縁起絵巻]や[地獄草紙]、また雪舟の[山水長巻]の縮小巻物も商品化している。すでに記した千葉市美術館での展覧会では、同社の『国宝 鳥獣戯画巻(甲巻)』(58,000円+税)などの原寸大複製を用いて絵巻体験コーナーが設けられ好評であった。
なお福井県立美術館編『近松の六情展 幸若・又兵衛・写楽の系譜』(1991年)は、なんと巻子本で制作された展覧会図録。この例をみない体裁は、岩佐又兵衛えがく絵巻の躍動感をカラー図版により効果的に伝えている。
絵巻を通じて中世社会をみてゆこうとするもの。面白いのは最終章で、説話をもとに「猫怖大夫草紙」なる仮想の絵巻を、モンタージュ的に作ってみようという試みが展開されている。架空の対話体を用いた謎解きは、「絵師草紙」をテーマとした『中世のことばと絵 絵巻は訴える』(中公新書)と同様で、読み手を飽きさせない(ただしこの「絵師草紙」の論については黒田日出男氏による説得力ある反論、五味氏の再論がある。こうした「その後」も合わせ読んで絵巻を考えたい本と評されよう)。
ちなみに、より具体的に「絵巻をつくる」体験が、近年の博物館での教育普及活動のなかで試みられている。斎宮歴史博物館の『絵巻を創る 絵師の目で見る源氏物語の面白さ』展(2001年)や、『天神さまの美術』展において東京国立博物館が実施した小学生対象のワークショップ「絵巻を作ろう」(同年)はその成果であった。
以上、メディアを介した絵巻体験の可能性を探りながらブックガイドをすすめてきた。しかしやはりガラス越しなりとも実物に接したいものである。数年前から年度明けに刊行されている本書は、そうした際にも強力な味方となろう。また東京国立博物館(www.tnm.jp/)、京都国立博物館(www.kyohaku.go.jp/)、奈良国立博物館(www.narahaku.go.jp/)など所蔵・寄託の絵巻を常設展示している館のHPも見逃せない情報源である。
すでにふれたサントリー美術館の『国宝信貴山縁起絵巻』展でのこと。ケースに全巻が拡げられた「尼公の巻」に、ガラス面をびっしり埋める入館者の列に連なってまみえた。絵巻を繰るのではなく見る側が歩くという状況からして、無論本来の鑑賞法ではない。しかし褪色した木々の緑の痕跡を見いだしながら、連続画面につぶさに描き出された旅路をたどったひとときには、さすがに原本ならではの味わいがあった。そしてもう一つ──すでに「飛倉の巻」や「延喜加持の巻」の展示期間は終わっていたのだが、それら2巻が持ち味とするスピード感は、あの混雑のもとでは味わえなかったかも知れない──絵の中の時間と見る側の時間が重なりあうという絵巻の特質、それから、展覧会での絵巻体験の難しさについても思いめぐらしたものである。
*記事初出:『雲母』No.1, No.2(2002年8,9月発行)