日本美術史を「わかる」ために──学習のスタートによせて──

カテゴリー: 過去サイトの記事 |投稿日: 2005年6月30日

杉崎貴英(本学講師)

 高校までの学校教育で、日本の美術のことを教わったのはどんな機会だったでしょう?美術科での鑑賞教育の大切さが見直されてきたのは最近のこと、ほとんどの方々は、日本史の授業だったのではないでしょうか。それはいわゆる「文化史」のさらに一ジャンルでした。受験勉強の頃を思いかえせば、やるべきことは作品名・作者名はもとより、位置づけや評価までが定式化された“重要事項”のインプット。参考書に写真があるのは数点だけ、小さな図版が申し訳程度に載っていて、それも教科書では白黒だったりする。そういえば大きさの説明さえなかったぞ。今から思えば、そんな情報だけで「わかる」ことが求められるとは理不尽な気もするが、期末テストの前なんか、消化不良のまま丸呑みもしたっけ──などと回想する向きは、結構多いのではないでしょうか?

 ひるがえって造形大のテキスト『日本美術史』を開いてみると、活字が詰まったページにおびただしい数の作品名や作者名、それらにまつわる位置づけや評価の文章がズラズラと並んでいて、なんだか消化不良を起こしそうだ。写真が載っているのは数点だけ、カラーは巻頭だけだったりする。でも受験勉強ほどシビアでなくとも、レポートの締切や単位修得試験はあるのだ……しかしここで、かつての中学・高校の「歴史」的な学習パターンに陥ってしまうとしたら、上記のような理不尽自足的「わかる」のリカレント・バージョンになりかねません。

 前置きがずいぶん長くなりましたが、ここからが本題。日本美術史を「わかる」上で悪しき「歴史」を繰り返さないための、とくに学習のスタートにあたっての若干の処方箋です。以下、シラバスも併せてお読み下さい。
手はじめに、最新版のシラバスのテキスト科目『日本美術史』のページと、単位修得試験のポイントの熟読を。“課題の趣旨”や“試験の傾向と対策”を踏まえる大切さもさることながら、学習に着手する上でのとっかかりになる上、何を念頭において取り組むべきかという視点設定、さらにはレポートや試験に対して、長期的には在学中・卒業後にもつづく学習に臨む上で、目標設定の一助となるからです。なお今年度のシラバスは、学習の手引きになる情報を、レポートの枠にとどまらず充実させました。すでに単位を修得済みの方もぜひ、御一読を。

 課題や試験のポイントをつかんだら、早めに学習に取り組みましょう。しかしここで、いきなりレポート作成にかかるのは消化不良のもと。何より、視覚的理解を伴わない「わかる」は、美術史の学習として絶対に避けなければなりません。そこで日本の美術に親しみが薄い向きにはなおさら、“眼で馴染む”ことからのスタートをお薦めします。美術全集を時代順に図書館から借りてきて、大きな図版を愉しみながらのティータイムや晩酌が毎週末の愉しみ、というのもオツなもの。たとえばそのような、大人の学習にふさわしい余裕のひとときのなかで、テキストにぎっしり凝縮されている情報は、少しづつ私たちの「わかる」に向かって解凍しはじめるでしょう。

 そこで、テキストや参考文献を本格的に読み進める段階に突入します。留意したいのは、“日本史の一ジャンルとしての理解”を目指さないこと。高校日本史でなされがちな、政治や経済、社会情勢などとの予定調和的な理解へと急ぐのではなく、「様式史」あるいは「美術社会史」的なアプローチの仕方(いずれもシラバスを御参照下さい)とその成果を意識してくみとるという、主体的な読み進め方が肝要です。『日本美術史』という独立した領域を体系化してきた“考える方法”に対する深い理解が、よりよき「わかる」を保証することになるからです。

 日本の美術に関する情報に日頃からアンテナを張っておくことも大事ですね。とくに美術館や展覧会には、つとめて足を運びたいものです。“自分の眼で観る”体験は、何よりも「わかる」を豊かなものにするでしょう。特殊講義や現地見学のスクーリングへの御参加も、豊かな「わかる」に資するものとなれば、と願っています。

*記事初出:『季報芸術学』No.27(2005年5月発行)


* コメントは受け付けていません。