今月の一冊:塩澤寛樹『鎌倉時代造像論-幕府と仏師-』 吉川弘文館、2009年

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日: 2013年9月9日

塩澤寛樹(芸術学コース非常勤講師)

 今回は、7・8 月に東京で開講するスクーリング「日本美術史1b」(『芸術学コース専門教育科目シラバス』p.61 参照)を担当される塩澤寛樹先生に、去る2 月に上梓された『鎌倉時代造像論-幕府と仏師-』(吉川弘文館)についてうかがいました。

─「幕府造像」がご高著のテーマですが、その展開をどんな視点で4つに時期区分されたのですか?

塩澤  美術史上の各時代の中を区切る場合、主要な作家の世代を基準に設定するのが一般的ですが、造形作品ではそれを求め、享受する側の事情も大切です。そこで本書では、運慶・快慶の世代、湛慶の世代という方法ではなく、鎌倉幕府の執政を基準に、十三世紀半ばまでを四期に分け、それぞれ頼朝、北条政子・義時、北条泰時、北条時頼の執政期と設定し、各時期の政治・社会と造像の関係に注目しました。

─口絵の最初は、願成就院の運慶作品(テキスト『日本美術史』p.85参照)、その第一期の作例ですね。幕府造像の展開の上でも、やはり大きな意味をもつのでしょうか?

塩澤  とても大きいと思います。単に運慶が鎌倉幕府要人の求めで仏像を造ったというだけではなく、これによって北条氏との縁が生まれたことが意義深かったと思います。端的に言って、頼朝亡き後の幕府造像で運慶一門が重用されたのも、ここが原点と思われます。

─有名な鎌倉大仏は第四期に属するのですね。幕府造像としてはどんな意義があるのですか?

塩澤  本書では、幕府造像を政権としての幕府、あるいはその要人が政治的、社会的意図をもって行う造像を幕府造像と呼びました。鎌倉大仏は謎の多い大作ですが、恐らく幕府が王法を行う資格を示すべく、仏法の新たな拠点として造ったと考えられます。とすれば、鎌倉大仏はまさに典型的かつ最大の幕府造像であるといえるのではないでしょうか。

─最後に一言、学生の皆さんへのメッセージをお願いします。

塩澤  造形作品は人間だけがなし得る表現です。ですから、人間社会と同様に複雑ですが、面白みもまた大きく、アプローチ方法もたくさんあります。皆さんもご自分の方法や視点を見つけると、一段と楽しく学べると思います。

 塩澤先生、ありがとうございました。スクーリングでのご指導、よろしくお願い申し上げます。

*記事初出:『雲母』2009年7月号(2009年6月25日発行)


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