モダン・アートの「回帰」をめぐって

カテゴリー: アネモメトリコースサイト記事 |投稿日: 2019年5月22日

池野絢子(教員)

図1:ジーノ・セヴェリーニ《母性》1916年、カンヴァスに油彩、92×65cm、エトルリア美術館、コルトーナ

図1:ジーノ・セヴェリーニ《母性》1916年、カンヴァスに油彩、92×65cm、エトルリア美術館、コルトーナ


 第一次世界大戦の前後から第二次世界大戦が始まるまでの戦間期、ヨーロッパの前衛芸術家たちの多くが、それまでの前衛的な画風を捨てて「古典性」や「伝統」の重要性を説き始める。作家のジャン・コクトーの著作に因んで、一般に「秩序への回帰」と呼ばれるこの傾向は、大戦によって生じた破壊と混乱のなかから、再び秩序を取り戻そうとした芸術上の動きであると理解されている。

 しかし、近現代芸術の通史において、この傾向に説明が費やされることは少ない。未来派の、あるいはキュビスムの芸術家たちがこの時期に描いた、およそ前衛のイメージからはかけ離れた作品群を、すぐに思い浮かべられる人がどれほどいるだろうか。たとえば図1に示したのは、未来派の画家であったジーノ・セヴェリーニ(1883-1966)が、1916年に制作した《母性》という作品である。腕に我が子を抱き、伏せた視線を向けながら乳をやる女性の姿は、現代風の衣装を纏ってはいるものの、明らかに15、16世紀の聖母子像を彷彿とさせる。落ち着いた色調と明確な輪郭線で描かれたこの現代の母子像は、その前年までセヴェリーニが制作していた未来派的ダイナミズムに満たされた戦争画(図2)のイメージからは、あまりにも遠いものだ。1921年、セヴェリーニはパリで『キュビスムから古典主義へ』と題された著作を発表し、科学の法則に則った新しい古典主義を宣言することになるのだが、個々の芸術家の「回帰」に関する問題には、ここでは立ち入らないでおこう。むしろ確認したいのは、なぜこうした傾向が、私たちの知る「歴史」にあっては書かれることが少ないのか、である。
図2:ジーノ・セヴェリーニ《戦闘中の装甲列車》1915年、カンヴァスに油彩、115.8×88.5cm、ニューヨーク近代美術館

図2:ジーノ・セヴェリーニ《戦闘中の装甲列車》1915年、カンヴァスに油彩、115.8×88.5cm、ニューヨーク近代美術館


 その最たる理由の一つは、モダン・アートの歴史が常に前衛(アヴァンギャルド)の歴史として記述されることにある。「新しさ」の探求に基礎をおく前衛の歴史は、流派や運動の絶え間ない交代史であって、その観点からするならば「秩序への回帰」とは、前衛に対する反動、すなわち「後衛」に他ならない。それ故に、戦間期のこうした動きは、一つのエピソードにはなり得るとしても、後続の前衛運動との関係性から見れば、軽視されざるを得ない。また、もう一つの大きな理由として、これらの作品に見られる伝統の称揚が、多かれ少なかれ、最終的には第二次世界大戦下のナショナリズムや帝国主義と結びついてしまったという問題が挙げられるだろう。確かに、この時代の芸術と政治的イデオロギーとの密接な関係は度外視し難いものがある。しかし、だからといってそれを歴史の外部に押しやることはできないだろう。
 1980年から81年にかけてパリのポンピドゥー・センターで行われた展覧会「レアリスム――1919年から1939年」は、それまで重視されてこなかった戦間期の具象絵画を主題として、モダン・アートの歴史観自体を問い直そうとした重要な展覧会の一つである。この展覧会の監修を務めたジャン・クレールは、歴史を否定するはずの前衛が、今やそれ自体で歴史になってしまったことを指摘し、戦間期のヨーロッパで生じた様々な様式の「レアリスム(Réalismes)」――複数形である――を再検討している。ここでジャン・クレールが、この複数形のレアリスムを論じるにあたって、美術史家エルヴィン・パノフキーの『ルネサンスとリナスンシズ(Renaissance and Renascences)』(邦題『ルネサンスの春』、初版1960年)、および『〈象徴形式〉としての遠近法』(初版1924−1925年)を引き合いに出していることはとりわけ興味深い。ジャン・クレールがパノフスキーの議論に見て取っているのは、ルネサンスという時代が芸術上の「革新」として捉えられるにもかかわらず、それが古代の「復興」、すなわち「後ろに戻る」ことを通じてはじめて可能になったというアポリアである。「革新」というものは必ずしも過去の否定であるわけではなく、過去の「復興」のほうがかえって閉塞した現状を打破する力をふるうこともある。このとき、前衛と後衛、進歩と反動、革新と回帰、といった単純な時間観念では、芸術の歴史的動向を捉えることはできない。これら対立し合うはずのものが一致してしまい、まったくの同一の現象たることもありうるのだ。

 「レアリスム」展から30年を経て、近年ではモダン・アートの歴史の再検討とともに、「秩序への回帰」の動向は、再評価されるようになってきている。しかし、もしもそれが「忘れ去られた「後衛」の再発見」などという評価に甘んじるのみならば、そこにはむしろ、「新しさ」を信奉する前衛の呪縛が、いまだ強力に働いていると言うべきだろう。前衛的な芸術家たちの背後にはつねに後衛的な芸術家たちもいた、という話ではない。詩人であり批評家のシャルル・ボードレールが「現代生活の画家」(1863年)のなかで「現代性(modernité)」について述べた、名高い一節を思い出しておきたい――「現代性とは、一時的なもの、うつろい易いもの、偶発的なもので、これが芸術の半分をなし、他の半分が、永遠なもの、不易なものである」。

 伝統へ立ち返ること、過去を再発見することは、むしろ近代美術の歴史の一部である。モダニズムの歴史観が厳しい批判を経た現代にあって、必要なのは恐らく、「モダン」なるものの複雑さを、もう一度見つめ直すことだろう。そのとき、歴史はどのように語りなおすことが可能になるだろうか。それを知るためには、各地域の、個別の芸術家の事例を一つ一つ検証していく必要があるのである。

主な参考文献:
Clair, Jean,“Données d’un problème”in Les Réalismes 1919-1939, 1980, pp.8-15.
Les Réalismes 1919-1939, Paris: Centre George Pompidou, 1980.
シャルル・ボードレール『ボードレール全集 第4巻』阿部良雄訳、筑摩書房、1987年
 


* コメントは受け付けていません。