遠矢射るアポロン――芸術の光と闇
佐藤真理恵(教員)
早いもので、七草粥を口にしてからもうひと月以上が経つ。このところ世間は新型コロナウィルスの話題一色であり、さながら「唐土の鳥」襲来の様相。
これまでにも人類は、ペスト、マラリアやコレラなど感染症の大規模な流行に遭遇し、そのたびに程度の差はあれ政変や社会の混乱が生じてきた。そしてまた、それら疫病を題材とした芸術作品もまた生まれてきた。
有名な例として、ルネサンス期にボッカッチョが草した『デカメロン(十日物語)』(1349‐1353年)は、ペストから逃れて郊外に籠ったフィレンツェの男女10名が10日間毎日各人一話ずつ披露した物語集という体裁をとっている。
いっぽう、美術に目を向けてみると、疫病はしばしば降りそそぐ矢として表象されてきた。あるいは、矢に射抜かれてもなお生きた聖セバスティアヌスはまた、ペスト除け聖人として信仰されたという。
さて、目に見えぬかたちで忍び寄る病魔を矢でもって表現するのは何故なのだろうか。その主な起源はどうやら、「アポロンの矢」に求められるらしい。
古来よりアポロンの矢は、疫病を象徴するものであった。アポロンというと、古代ギリシアの光明の神であり、医学の神であり、また予言や芸術を司る神でもある。光り輝く神とも形容されるこの神が暗い疫病と結びつけられるとは、いささか奇妙に思われるかもしれない。だが、アポロンとの音楽の腕比べに負けたマルシュアスを生きながら皮剥ぎにしたように、この神は、思い上がった者に対しては残忍な一面をみせるのだ。
かくのごとく恐ろしいアポロンの制裁は、疫病ひいては死をもたらす矢として人間にも振り向けられる。古くは、前8世紀の作と目されるホメロスの『イリアス』第1歌冒頭では、アポロンがオリュンポス山から「夜の闇の如く」駆け下り、矢を放つやアカイア軍勢に悪疫がもたらされ、夥しい死者(人のみならず動物も)の出るさまが描写されている。あるいは、ソフォクレス作の悲劇『オイディプス王』(前429年初演)は、テーバイに疫病が蔓延しているところから幕が開くが、その惨状の背後にもやはりアポロンがいる。
このようなアポロンの矢、ならびに遠矢射るアポロンは、広く知られ畏れられていたようである。たとえば前5世紀の疫病流行の折には、ローマでもカルメンタリス門外にアポロン神殿が建立されたと伝えられている。
ところで、得体の知れぬ疫病が蔓延する街を舞台とした作品はいくつもあるが、なかでもここで着目したいのは、トーマス・マン作の『ヴェニスに死す』(1912年)ならびにその翻案たるルキノ・ヴィスコンティ監督の同名の映画(1971年)である。折しも、この原稿を執筆している今、ヴェネツィアはちょうどカーニヴァルの真っ盛り。
『ヴェニスに死す』とアポロンは、一見なんの関係もなさそうに思われることだろう(ちなみに、1973年のベンジャミン・ブリテンの歌劇『ヴェニスに死す』には、囁くアポロンの声とディオニュソスの声が登場する)。しかし、私は学部生の頃に受けた西洋古典学の授業で、とりわけ映画の『ヴェニスに死す』にはアポロンの影を垣間見ることも可能だという興味深い解釈に接した。
以下、その解釈の一端を交えながら、この作品とアポロンのかかわりについて少し述べてみたい。
この作品では、アッシェンバッハという老年の音楽家が旅先のヴェネツィアで出逢ったタジオという美少年に惹かれつつ、原因不明の疫病に犯され客死する。『ヴェニスに死す』が芸術家の生を描いたものだというのは衆目の一致するところだが、フリードリヒ・ニーチェ『悲劇の誕生』(1872年)が提示するとある図式とこの作品の親縁性もまたしばしば指摘されてきた。
その図式とは、「アポロン的世界観」と「ディオニュソス的世界観」という対概念である。ニーチェ自身もこの二項は単純に峻別できるようなものではないと一定の留保を付しつつも、アポロン的なるもの/ディオニュソス的なるものを以下のように特徴づけている。たとえば、静的/動的、日常的/非日常的、理知的/美的などである。この図式と重ね合わせて、『ヴェニスに死す』は、規律ある静かな生活に身を置く音楽家アッシェンバッハが、ディオニュソス的な美や陶酔に惹かれていく物語として解されることも珍しくない。
この老音楽家をディオニュソス的世界へと誘うのはもちろん、美少年タジオである。ただし、興味深いことに、作中、タジオの容貌は古代ギリシアの彫像に譬えられおり、さらに彼は四頭立ての馬車で天駆ける神のイメージと重ね合わせられているが、これはまさにアポロンの姿そのものである。おそらくアッシェンバッハは、光に満ちた海を背に輝くばかりのタジオにアポロン的な姿をみているつもりが、そのじつディオニュソス的・耽美的世界に魅了されていったのではなかろうか。
ちなみに、映画版でタジオを演じたビョルン・アンドレセンはその美貌で一躍有名となったが、その容貌は端正かつ中性的であり、まさにアポロンとディオニュソス双方を体現しているかのようであった。
このように、アポロンとディオニュソスは、たんに相対立する存在であるだけでなく、重なり合う面もまた持ち合わせている。そういえば、神話によると、毎年アポロンが聖地デルフォイを留守にする数ヶ月間、この地はディオニュソスの神域と化したという。
さて、ここでやっと、先述の授業で聴いた解釈を紹介したい。くだんの教授の見立ては以下のようなものである。
まず、エウリピデスの悲劇『バッカイ(ディオニュソスの信女たち)』(前405年初演)で、ディオニュソスを嫌悪し拒絶する人物が、知らぬ間に(じつはこの神に惑わされて)ディオニュソスの信女と同じ扮装をしディオニュソスを模倣し、果ては信女達に八つ裂きにされたように、映画『ヴェニスに死す』のアッシェンバッハも、タジオに惹かれていくなかで若づくりの染髪や化粧を施し、最後は疫病に蝕まれ、タジオを眺めながら息絶える。ここで注目すべきは、海に向かうタジオと崩れ落ちるアッシェンバッハを描くシークエンスに映り込んでいる三脚である。
たしかに、舞台はヴェネツィアの高級リゾート地の浜辺であり、観光地にカメラがあるのは不自然なことではない。しかし、教授は、この三脚はアポロンであると解釈する。デルフォイでアポロンの神託を受ける際、神の言葉を伝える巫女が三脚の鼎に坐していたというのはよく知られた話であり、実際に出土品もあるうえ、アポロンと三脚鼎を刻んだ古代のコインも見つかっている。このように、三脚鼎はアポロンを象徴するもののひとつなのである。
この三脚がアポロンの化身であるとするならば、さきにみたアッシェンバッハの最期はより複雑な意味をもつ。すなわち、彼がディオニュソス的世界に導かれ、そこに没入しながら死にゆくさまを静かに見つめているのは、この三脚=アポロンだということになろう。アッシェンバッハは、アポロンの矢たる疫病に侵され、アポロンの目の前で息絶えるのだ。
ちなみに、このラストシーンには、もうひとつ興味深い点がある。それは、アッシェンバッハが今際のきわに目にするタジオの姿である。彼は、浅瀬で一瞬アッシェンバッハの方に振り返り、おもむろに片手を腰に当て、どこか遠くを指し示すかのようにゆっくりと反対の腕を挙げるという独特の身振りをする。
つとに指摘されているとおり、このポーズは、ある古代のアポロン像と似ていなくもない。その像とは、古来より美青年として想像・創造されてきたアポロン像のなかでも、ヴィンケルマンやゲーテらが「理想的」と称賛し、多くの芸術家たちがこぞって模写を残した《ベルヴェデーレのアポロン》である。
若干、牽強付会の感も否めないが、右腕こそ異なるものの、掲げた左腕や脚にかんしては、たしかに両者にはなんらかの類似性がみとめられるようにも思われる。興味深いことに、《ベルヴェデーレのアポロン》の左手にはかつて矢が握られていたと考えられており(現状の左手と右腕は16世紀の後補)、この像は、さきの疫病をもたらす「遠矢射るアポロン」を象ったものとされている。
白昼、最期にアッシェンバッハの目に映ったタジオとは、ディオニュソスであったのか、はたまたアポロンであったのか。そして、タジオが指差す先に、この老音楽家は何を見たのか。
古代ギリシアの造形作品は、概して、明快で端正な形象という側面が強調される向きがある。輝く白いギリシアという「古典的」なイメージに疑義が呈されて久しい今日でもなお、やはりその印象は払拭しきれないものがある。たしかに、あまりに強く透明なギリシアの日射しのもとでは、あらゆるものが影を取り除かれているかのように見える。だが、「遠矢射るアポロン」に思いを致すとき、昼の光の中でやおら深い闇に捕らわれるような感覚をおぼえることだろう。美に対する驚嘆と畏れ、この両者を抜きにして古代ギリシアの芸術にふれることはほとんど不可能なのではないだろうか。