拈華微笑2020(2):『管子』を通して美に触れる
金子典正(芸術学コース教員)
皆さん、こんにちは。近年、若き日の秦の始皇帝や当時の将軍たちの生きざまを描いた漫画『キングダム』が人気を博していますが、今回は始皇帝より少し前の時代を生きた管仲について少し書きたいと思います。
管仲は、紀元前7世紀、春秋時代の斉国の宰相となった政治家であり、君主である桓公に仕えて斉国を春秋の五覇の筆頭へと押し上げたことで歴史に名を残しました。春秋の五覇とは、殷王朝から周王朝へと時代が移り、やがて周王朝が衰えた後も周王室を守りつつ天下を取り仕切った五人の覇者のことで、斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭、越王勾践があげられます。この五人については「牛耳る」の語源となった故事が有名で、また、最後の呉王と越王については「臥薪嘗胆」の故事を知っている人も多いでしょう。
そして中国の故事に詳しい方なら、管仲といえばやはり「管鮑の交わり」ですね。管仲が宰相の地位に就くことができたのは、ほかならぬ大親友である鮑叔のおかげでした。「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり」と管仲が述べているように、彼にとって鮑叔は父母よりも自分のことを理解してくれる長年の大親友だったのです。管仲の出身が貧しいことや、管仲が人生で何度失敗を繰り返しても、常に理解を示して咎めることは一切しなかったと伝えられます。そんな友人がいることはとても羨ましい限りですが、実はこの二人、後に斉国の王位継承争いで真っ向から対立することになります。しかし、鮑叔はそれでも管仲を信じて、自身が仕える桓公に管仲を宰相として推薦し、自らは管仲の補佐役に回ります。これよって管仲は才能を存分に発揮し、やがて桓公を五覇へと押し上げて行くのです。なんとも小説のような物語ですが、史実であるからこそ長く語り継がれて故事となっているのでしょう。
さて、そうした管仲の著作に『管子』という彼の言行録とされる書物があります。従来の研究によって管仲が全編を著したのではなく春秋~漢代にかけて成立したとされ、政治・経済・倫理などについて詳述されています。「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」という、人間は生活が豊かになって初めて礼儀や道徳を考えるゆとりができる、人々のゆとりのある生活を築くことが政治の基本であるという、どこかの国の首相に真っ先に届けたい有名な諺の出典としてよく知られています。
加えて本書は、わたしが専門とする中国美術史でも引用することがあります。それは「玉(ぎょく)」という古代から現代に至るまで中国で愛好される水を含んだような柔らかい発色をする軟玉という宝石の由来についてです。『管子』水地編には次のように記されています。「大地は万物を生み出す本源であり、(中略)、水は大地にとって血液であり、(中略)、水は優れた徳性を具備している」「水の精なるもの粗なるものが、それぞれ凝結固体化して玉となり人となる」とあり、玉は人間を構成する水が固まったもので、優れた徳性を備えているといいます。つまり、玉器は単なる装身具ではなく、生命を象徴する水を含み、優れた効力を有する宝石だったのです。だからこそ、装身具の素材として選ばれ、また副葬品として、時には被葬者の全身を玉で覆った金縷玉衣が制作されました。こうした古い歴史をもつ軟玉に加えて、宋代頃から硬玉として翡翠も愛好されるようになり、例えば台湾の台北・国立故宮博物院では翠玉白菜をはじめとする数々の名品と出会うことができます。もちろん、肉形石(豚の角煮)も忘れずに。
最後に、『管子』からもう一句引用したいと思います。これは有名な言葉ではありませんが、同書五行で管仲は次のように記しています。「人と天と調(ととの)ひ、然る後に天地の美生ず(人と天とが調和して、そして大地の美が生まれるのだ)。」中国哲学を研究する久富木成大氏は「ここでいう美とは、人間の生活が自然の運行と合致し、その生命が充実した姿をいう」と述べています。なんとも素敵で理想的な美の定義ですが、人と自然との調和が崩れつつある現代社会において、古典は我々に様々な示唆を与えてくれます。当然といえば当然ですが、まさに温故知新ですね。それでは皆さん、引き続き勉学にいそしみましょう!