拈華微笑 2022 (2):仏像はどのようにあらわれてきたのか
こんにちは、芸術学コースの金子です。今回はわたしが専門とする仏像のお話をしたいと思います。
今から約二千年前頃、釈迦の姿をあらわした仏像というものが誕生しました。紀元前6乃至5世紀頃に釈迦が仏教を開いて活躍した時代、そして入滅した後のしばらくの間も、釈迦の姿をあらわすことはあえて避けられてきました。普段の授業で皆さんにお話しているように、例えば紀元前2~前1世紀頃に遡るインドのサーンチーのストゥーパにあらわされた仏伝図浮彫には釈迦その人の姿はみられず、仏足跡や誰も坐っていない空の台座(写真1)など、象徴的な表現でその存在があらわされています。
しかし、インドがクシャン族というインド人ではない遊牧民族に支配される1~2世紀頃になると、堰を切ったように仏像が大量に制作されるようになります。その理由として、クシャン族はインドを支配する前にヒンドゥークシュ山脈北側のバクトリアを支配しており、当地に根付いていたヘレニズム文化を吸収してその後にインドを支配したこと、さらにクシャン族が信仰していたゾロアスター教の影響を指摘する説があります。
まず、ヘレニズム文化における神々は造形美術において人の姿としてあらわされています。例えばインド・グリーク朝のバクトリアから出土した銀貨にはゼウスやヘラクレスといった神々が人の姿としてあらわされます。
また、ゾロアスター教においてもアフラ・マズダーをはじめとする神々を人の姿であらわすことがなされていました。出土したクシャン朝が発行した金貨をみると、表面には武器をもって仁王立ちするカニシュカ王の肖像をあらわし(写真2)、写真がなくて申し訳ありませんが、その裏面には豊穣神アルドクショーや財宝神ファッローといったゾロアスター教の神々が人の姿であらわされています。
こうした文化的背景をもったクシャン族がバクトリアから南下してインドを支配するにおよび、そこでは仏教が長く信仰されていた歴史がありました。クシャン族は仏教徒を排除することなく、むしろ逆に仏教を公認してインドを支配して行ったことが出土遺物からうかがえます。その中でもっとも注目されるのが、クシャン族が発行した金貨です。なんとその裏面には仏像があらわされているのです。
ゾロアスター教の神々と同じように金貨の裏面に仏像があらわされていることは、仏教がクシャン朝において公認されていたことを物語っています。従来の研究によって指摘されていますが、ガンダーラから出土した仏教美術の浮彫のなかには仏像を供養する供養者としてクシャン族の王族の姿が確認されています。仏教を信仰していたクシャン族もいたようです。このようなクシャン族の文化的宗教的背景のもとで、釈迦を人の姿としてあらわすことが始まった、すなわち仏像があらわされるようになったと考えられています。
つまり、インドの仏教はクシャン族という異民族によって支配された時に見事に生き残ったわけですが、その理由は仏教の教えが魅力的であったからこそ生き残ったのでしょう。現在でもまだ議論が続いていますが、大乗仏教が生まれた時期と仏像が誕生した時期がほぼ同時期であることは大変面白いことです。そしてさらに面白いのは、わたしが専門とする中国仏教美術史において、インドで仏像が誕生して間もない1~2世紀頃、すでに仏像が中国に伝播して造形化されていることです(写真3)。
中国江蘇省の北部にある連雲港市の孔望山摩崖造像は、後漢時代1~2世紀頃の遺跡とされています。郊外にある標高約130メートルの花崗岩の岩山の麓に、このような仏教図像や当時流行していた神仙思想にもとづく図像がレリーフ状に105体彫られています。どういった経緯で、どういった理由でこの浮彫が彫られたのかは資料が残っておらず不明なのですが、実はこの写真の仏立像はガンダーラで出土した金貨にあらわされた仏像とそっくりなのです。
紀元前1世紀頃、東西の交易路であるシルクロードが開通し、中国のシルクが遠く遥かギリシャまで輸出されるようになり、一方、中国には西方の文化や文物が大量に中国に流入することになりました。恐らくそうした過程において仏教と仏像が中国に伝播したと考えられ、文献の記述によると紀元前1世紀末に仏教が中国に伝えられたといいます。その後、中国では敦煌莫高窟や雲崗石窟、龍門石窟といった仏教美術が大いに流行しますが、実はインドで仏像が誕生して間もないころに仏教や仏像が中国に伝わり、長い時間を経て徐々に根付いて行ったことが、こうした作例からうかがわれます。
何でもそうですが、すばらしい芸術はある日突然手品のようにパッとあらわれるのではなく、長い年月を経て成立することを認識しなければなりません。目の前の作品だけではなく、歴史的な背景や成立過程をじっくり考察することも時には大切です。皆さんの日頃の研究に少しでも参考になればと願っています。
それでは、また!