フィレンツェでの美術史修行
水野千依(本学准教授)
盛夏の候、今年も夏の集中スクーリングが目白押しにはじまる季節となりました。皆様、いかがおすごしでしょうか。暑さも加わり、ただでさえ疲れやすい時期ですが、どうか体調を整えられて、夏を乗り切って下さい。
さて今回は、私がフィレンツェに留学していた頃の美術史の学習についてお話したいと思います。そもそもフィレンツェといえば芸術の都、どの通りを歩いてもさまざまな時代のモニュメントや造形物に溢れかえっており、街全体がいわば美術館のような都市です。日本で得られる作品の知識は、当時はインターネットもなく、今よりはるかに限定されており、まずこの膨大な数の造形物を前にただただ圧倒され、自分の知識の乏しさを思い知りました。とにかく秋にはじまる新学期までは、京都に比する盆地ならではの炎暑のなか、街中をくまなく歩き回ったことを思い出します。
さて大学がはじまると、カリキュラムのなかに、日本にはなかった授業がありました。「アトリビューション(作品帰属)」というものです。年度初めに担当教授が選択した十四世紀(芸術家が「個」として存在しはじめた時期)以降の百人の芸術家リストが配布され、それをもとに学生は、画家ごとに作品をコピーでカード式に作成レその裏に作品データや形の特徴を記述する自己流カタログを作っていきます。この美術史の基本作業のために、多くのイタリアの図書館には「フォトテカ(写真アーカイヴ)」があり、画家別の写真が年代・地域ごとに整理されています。学生は、そのカードを日々作成するとともに、それぞれの画家の「様式」を識別するべく目を鍛えていきます。目の練成は、ピアノの練習と同じで、日々継続して行わないとすぐに衰えるため、この授業には一年生から大学院生まで、さまざまな学生が参加していました。そして週末には、できるかぎり遠出をして、作品を実見しに行きます。授業では、作品の部分から全体がスライドで投影され、その作者や制作年、影響関係などを学生が答える形で展開されます。一見、無味乾燥でゲームのようにも見えるかもしれませんが、私の習った教授は芸術作品に対する審美眼がたいへん鋭く、詩情溢れる語りをする方だったこともあり、むしろ形を言葉に紡いでいくいわば錬金術的話術にいつしか皆が引き込まれ魅了されてしまう独特な時間でした。
それはさておき、まずは多くの作品を「見る」、その形を「言葉」にする、そして作品相互の差異と連続性を有機的に考察する、この基本的作業を早くから身につけることで、当初、圧倒された膨大な作品に対しても、それらを位置づける大まかな地図のようなものが形成されてきました。日本ではオリジナル作品に触れることはおろか、フォトテカのような設備もありませんが、まずは教科書に載っているような規準作をできる限り沢山「見る」だけでも無駄ではないでしょう。ちょっとした時間の合間に画集を広げてみるだけでも、対象への親しみが湧くものです。さまざまな切口で芸術を論じたり考察する場合も、具体的な作品の知識があればこそですし、むしろ両者は相補的な作業だと思います。日々の生活や仕事の上に多くのテキスト課題やスクーリングをこなされている皆さんですから、なかなか時間のゆとりはないかもしれませんが、そこはどうか貪欲に。慣れ親しんだ作品も、さまざまな作品を知った上で眺めると、また違った面持ちを見せてくれることでしょう。
*記事初出:『季報芸術学』No.29(2005年7月発行)