今月の一冊:今橋映子『フォト・リテラシー:報道写真と読む倫理』 中公新書、2008年

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日: 2011年8月20日

高橋千晶(芸術学コース教員)

 テレビやインターネットなど映像の多様化が進むなかで、「メディア・リテラシー」という言葉が登場して久しい。「リテラシー」とは字義通りには「読み書きする能力」であるが、メディア・リテラシーでは、その意をもう少し広く捉え、現代の情報社会を生きる観者がメディアを主体的に批判・評価していく姿勢と定義されている。
 本書が提唱する「フォト・リテラシー」という概念もまた、主に報道写真の「読み方」を議論の中心に置く。情報を伝える映像が「現実」をそのまま写し出す窓としてあるのではなく、情報発信者の意図や思惑に応じて、編集・加工・発表された「制作物」であるという立場は、基本的にはメディア・リテラシーの試みと軌を一にするが、メディア・リテラシーが現代社会の問題意識や関係性を焦点とするのに対し、本書の肝にあるのは、写真という媒体に特有の問題、すなわち、「報道か、芸術か? 」、「記録か、スペクタクルか? 」という簡単には答えの出ない問いへの接近である。その過程で著者は、いまなお支配的な「報道写真=真実」という言説が構築された歴史をひもとき、モダニズムの美学によって醸成された報道写真の展開を示した上で、異文化表象と戦争表象が抱える問題系を例に、私たちに「写真を読む倫理」の再考を促す。
 ただし、報道写真につきまとう解決不可能な問いに対して、著者は初めから答えを出すことを意図していない。問うことこそが問題であり、「それでもなお」考え続けるべきとする著者の指摘は明快であるがゆえに力強い。

*記事初出:『雲母』2011年2月号(2011年1月25日発行)


* コメントは受け付けていません。