今月の一冊:ウンベルト・エーコ『醜の歴史』 川野美也子訳、東洋書林、2009 年

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日: 2011年8月20日

前木由紀(芸術学コース教員)

 醜。醜いこと。醜さ。醜さを物語ること。どんなふうにして? この本でウンベルト・エーコは西洋文化における醜さをめぐる言説をおおよその時系列に沿って取り上げる。中世における「受難・死・殉教」、ルネサンス期の「怪物と予兆」、19 世紀の「不気味な者」などの側面を切り取りながら、それらをテクストの蒐集と分析によって解説してゆく。それは西洋史における醜さの「大全( スンマ)」である。(エーコがトマス・アクィナス研究から出発していることと、この著述のスタイルとの関連を勘ぐらずにはおられない)。
 たとえば地獄についての章の冒頭で言及されるのは『聖書』(とりわけ『新約聖書』の「黙示録」)、『コーラン』、『聖ブレンダンの航海』、『テュンダルの幻想録』、ジャコミーノ・ダ・ブレーナ『地獄のバビロン』、ボンヴェジン・デ・ラ・リーヴァ『三書体の書』、ウェルギリウス『アエネイス』第6巻、アラブの伝承(『天球層上昇の書』)、ダンテ『神曲』である。これらの地獄をめぐる言説からサルトルの『出口なし』の一場面——近代的疎外の地獄——へと瞑想を飛躍させるところにエーコの博学の真骨頂がある。
 各章において取り上げられたそれぞれのテーマや概念は、厳密に練り上げられているとはとうてい言えない。西洋文化における美についての言説がいかに練り上げられているかに、逆説的に気づかされる。古典的な美の規範と対立するとされる「ロマネスク」「ゴシック」「バロック」「ロココ」といった用語ですら、美のカテゴリーに再統合された。ここでは美をめぐる思索から追いやられたものたちが、醜いままに列挙されている。
 さてこの本はずっしりと重い。そして豊富なカラー図版で目を楽しませてくれる。ところが本文中でエーコがイメージ(作品)そのものについて考察することはほとんどない。そういう意味では、訳者の川野氏が言うとおりこの書物は「美術史」の本ではまったくない。
 手にとってみて印象的なのは図版の多さだけではない。エーコが言及するテクストそのものの引用も本文以上の量がある。それぞれのテクストとイメージを結びつけ、イメージを解釈する作業は読者に任されている。ヒントと材料は豊富に与えられている。「美術史」に関心がある読者はイメージに目がとらわれたなら、テクストの手引きに従って自らの「美術史」を織りたいという誘惑に駆られずにはいられないだろう。

*記事初出:『雲母』2010年2月号(2010年1月25日発行)


* コメントは受け付けていません。