拈華微笑2015(4):「ニセモノ」再考

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日: 2015年7月26日

田島恵美子(教員)

 「ニセモノ」と聞くと、なんとなく、劣ったもの、残念なものといったイメージをもってしまうのではないでしょうか。ひとつには、「素晴らしいホンモノ」に対する「劣ったニセモノ」という見方を無意識のうちに前提としていることがあるでしょう。確かに、その存在は「ホンモノ」との関係性において成り立ちますが、それは単なる二項対立的な捉え方だけでは説明できない複雑さを孕んでいます。

 この両者の関係性が時代やコンテクストによってどのような原理で振幅してきたのか。これを探ろうとする展覧会「大ニセモノ博覧会―贋造と模倣の文化史」が、今年3月~5月初旬にかけて国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)でありました。ここでは、始祖鳥の化石、人骨、貨幣、書画、陶器、人魚やオニのミイラなど200点以上の様々なモノたちが、単なるホンモノ/ニセモノの並列展示ではなく、フェイク、コピー、イミテーション、レプリカというキーワードのもとに受容の様相や社会的背景を含めて提示されており、価値の低いものとして見過ごされがちな「ニセモノ」の意義を積極的に捉えようとした興味深い企画展でした。
 その中で、特に美術史に関連する事例として、地方の名家に多く残されている、その土地にゆかりのある歴史的人物や高名な画家、例えば山口県であれば雪舟や吉田松陰、桂太郎などの作と伝えられる書画がありました。中には作風が全く異なるなどおよそ真作とはみられないものも含まれており、所蔵にいたる経緯は明らかにされていませんが、それらがその家の格式を高める威信財として機能した可能性が指摘されています。今回の展示では、それらが、社交の場としての宴会つまり接待の場を演出し、客を喜ばせると同時に、その家の格を示す装置として使用されたであろうことが、写真による再現によって提示されていました。このような場では、あまり知られていない画家の「ホンモノ」よりも、高名な画家の「ニセモノ」の方がよりよく機能したであろうことが想像されます。この意味では、「ホンモノ」より「ニセモノ」の方が価値があるといえるのかもしれません。いずれにせよ、それらの「ニセモノ」もその家の歴史の一部として意義のあるものであることがわかります。
 この他にも、石器や化石の捏造、偽文書、浮世絵版画の海賊版など、実に多様な「ニセモノ」の事例が展示されていましたが、全体を通じて実感されたのは、それらが当時の人々の様々な事情あるいは時代の要請をうけて生み出された、極めて人間的・社会的な産物であるということです。それらは、科学的根拠に基づく超越的な真偽とは別個の、人間の営みと密接に結び付いたものであり、だからこそ、ホンモノとニセモノの境界線は絶対的なものではなくコンテクストによって揺れ動き、時には価値の転倒が起こることさえあるのです。はたしてホンモノ/ニセモノという二項対立的な見方は有効なのか。そもそも「ニセモノ」そして「ホンモノ」とはいったい何なのか。「ニセモノ」とされるものに出会った時にでも、ぜひ一度考えていただければと思います。


* コメントは受け付けていません。