版画と書物――アルブレヒト・デューラー『黙示録』を例に

カテゴリー: 愉快な知識への誘い |投稿日: 2015年10月9日

田島恵美子(教員)
 ヴァチカンといえば、言わずと知れたカトリック教会の総本山であり、数々の美術品でも有名ですが、装飾写本をはじめ歴史、法律、哲学、科学および神学に関する貴重な文献や古文書、印刷本など100万冊以上の歴史的図書※1を所蔵する世界有数の図書館も有しています。
 その貴重な蔵書を展示した「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ―書物がひらくルネサンス」が、今年4月末~7月半ばにかけて印刷博物館にて開催されました。写本から印刷本への変遷を紹介した2002年の第1回※2に続くこの企画展では、〈書物〉と〈ルネサンス〉をキーワードに、中世写本、初期刊本、地図や書簡類などヴァチカンが所蔵する21点と、国内の諸機関が所蔵する書物を加えた計69点が展示されていました。
 

ヴァチカン教皇庁図書館が創設されたのは、1450年代半ばのルネサンス・人文主義の時代です。そしてこの頃、大量の複製生産を可能にする活版印刷が登場しました。グーテンベルクによりドイツで始まったこの印刷技術は、15世紀のうちにヨーロッパ各地に広まり、16世紀にかけて書物の刊行は一気に増加、出版印刷業は武器や織物などと並ぶ一大産業となります。これを背景にヨーロッパでは書物文化が花開き、古典の叡智とルネサンスの成果は大量の刊行物として流通し、また宗教改革家の主張が流布するとともに各言語に訳された聖書が大衆に届けられました。そして大航海はそれらを、成果品だけでなく印刷技術そのものも、世界に広めていきました。
 展覧会では、実際に、プリニウス『博物誌』やユークリッド『幾何学原論』、ダンテ『新曲』とボッティチェリによる挿絵、最初の活版印刷本『グーテンベルク聖書』、ルター訳ドイツ語版新約聖書や多言語対訳聖書、そのほか天正少年使節団が日本に持ち帰った印刷機による出版物「キリシタン版」などを目の前に見ることができ、当時の書物文化の一面を実感として知ることができました。

 その中で特に注目した展示物のひとつが、アルブレヒト・デューラー『黙示録』です。デューラーの黙示録といえばまず木版画を思い起こしますが、それは文章を伴う書籍として、1498年ドイツにて刊行されました※3。サイズ420×300mm、表紙と15葉の版画、ラテン語の黙示録の文章※4で構成され、各様の裏面に文章が冒頭から末尾まで切れ目なく2段組みで印刷されています。見開きの状態で左に文字、右に画像をみることができますが、文章と描かれた場面は直接的には対応していません。1511年には、同じような体裁をとった『大受難伝』『マリアの生涯』の初版とともに、再版されています。美術史においては、その技術と芸術性によって高く評価されるデューラーの木版画連作ですが、それが書物を構成するひとつの要素としてあることに興味を覚えました。
 そもそも版画は、書物の隆盛とともに発展してきた側面があります。15世紀半ばに登場した活字印刷本はじきに多くの版画で飾られるようになりますが、その需要に応えるために大量の木版画がつくられ量産されるようになりました。同じ版木を流用し繰り返し使ったり※5、あるいはそっくりに模倣したり一部を借用するなど、先行する写本や印刷本のイメージを参照しながら創意工夫を重ねていく過程で、挿絵版画は練り上げられ発展していきました。このような中で、デューラーの黙示録の木版画はどのようにみることができるでしょうか。
 資料を参照すると、まず注目されるのは、その革新性です。民衆の教化を第一の目的とする木版本や最初期の印刷本※6にみられる挿絵版画は、主に文章の意味を説明したり、キリストや諸聖人のエピソードを具体的に思い描く手助けをするためのものでした。その画面は太く簡略化された線で構成され、時には後から簡単に彩色されることもありましたが、概して、陰影や立体感に乏しい素朴な印象のものでした。
 これに対し、デューラーの木版画は、全体的に線が細く繊細でかつ陰影表現に富んでおり、洗練された印象をうけます。輪郭と境界を示すのみであった線は、光と影、空間的奥行や立体感、量感や動感までも表しており、イタリア旅行で学んだこのような造形表現によって、それまでの実用的な挿絵には感じられなかった絵画的な効果や芸術性をみてとることができます。
 また、デューラーは、黙示録の内容を図像化する際に、文章をそのまま追うのではなく自由な解釈を加え、いくつかの場面を同時に描いたり省略したりしていることも指摘されています。先行する木版本の『黙示録』(1465年頃、作者不明)では、その内容は96の場面で叙述的に図像化されていますが、デューラーのものでは15のカットにまとめられています。見開きの状態では文章と描かれた場面が必ずしも一致していないのはこのためとも考えられていますが、テキストに倣いつつも完全には従属していないというイメージの在り方において、それまでの説明的な挿絵とは一線を画していることがわかります。場面の設定や構図、モチーフなどの面である程度先人の作例に負っているという点では従来のものと同様ですが、その一方で、際立った彫版技術や洗練された表現、解釈や図像表現の独自性、テキストとの関係性において、デューラーの版画は、書物の中の挿絵としては画期的なものであったことが推測されます。
 このような『黙示録』によって、当時まだ20代後半だったデューラーの名声はヨーロッパ中に広まりました。それには印刷本の普及力が大きく寄与したであろうことが想像されますが※7、さらに興味深いのは、この書物がデューラー自身の版画工房から出版されていることです※8。版画入り印刷本をつくる場合、通常は版元が企画して挿絵を下絵師と彫師もしくは工房に依頼しますが、この『黙示録』では、版元は介しておらず、工房の親方であるデューラー自身の意図によって文章を伴う書物として出版されたと考えることもできるでしょう。彼が自作の版画を書物のかたちにすることにこだわっていたとも参考資料で述べられていますが、だとすれば、書物という体裁で仕上げることにどのような意義があったのでしょうか。あるいは、ひとつの作品として自立性をもった版画を、あえて文字(聖書のことば)とともに並べて出版することにどのような意味があったのでしょうか。たとえば、参考資料では記念碑的な意味があることが述べられていますが、なるほど、聖書のことばとともに1冊の書物としてまとめることによって、自らの作品を不朽のものにしようとしたと考えることもできるかもしれません。いずれにせよ、当時の印刷本と版画の関係や書物文化のコンテクストにおいて、デューラーの木版画連作を捉えなおす必要があるでしょう。

 写本から印刷本へと変化していく大きな技術革新の時代に興隆した書物は、社会と文化に大きな影響をもたらしました。それから500年、新たな技術革新により、メディアとしての書物は、その姿をかえつつあります。物理的なモノとしての書物の在り方や意義が問い直されている現在、改めて初期の活版印刷や当時の書物を見直すことは、印刷本からデジタル本へと変化していく過渡期ともいえる現在の様相、ひいては印刷本の今後を考える上で何かしらのヒントを与えてくれるようにも思います。

※1 昨年、日本の企業がこれらの貴重書をデジタル化する作業を受注したニュースがあったが、その成果が以下に公開されている。

http://www.nttdata.com/jp/ja/services/sp/dataforthefuture/  

その他デジタル化が完了したものも次のサイトでみることができる。

http://digital.vatlib.it/ja/collection

※2 2002年に印刷博物館にて開催された「ヴァチカン教皇庁図書館展―書物の誕生」

※3 黙示録の木版画連作は、イタリアなど遍歴修行から戻り1495年ニュルンベルクに工房をかまえた後、1496~98年に制作されている。今回の展覧会のカタログでは、版画制作においてデューラー自身がどこまでかかわったかは未調査の部分が多く、黙示録でも原画以外にどこまで本人がかかわったかを特定するのは難しいことが述べられている。また、別の参考資料では、『黙示録』『大受難伝』『マリアの生涯』の版画は、最初は1枚刷りとして売りに出されていたと述べられている。

※4 ラテン語とドイツ語にて出版された。展示されていたのはラテン語版。1511年の再版はラテン語版のみ。

※5 今回の展示では、挿絵入りの『聖書』(1490年イタリア語版/1511年ラテン語版)に版木流用の事例をみることができた。

※6 今回の展示でいえば、上記の挿絵入り『聖書』のほか、キリストの教えを伝える民間伝承の本『人類贖罪の鑑』など。

※7 ラテン語は当時のヨーロッパの共通語であった。実際に理解できたのは一部の教養層や聖職者などに限られるとしても、ラテン語の書物は、ドイツという一地域を越えてヨーロッパ全域に普及することができたであろうことも想像される。ただし、宗教改革によって日常言語による印刷本の刊行が促されたこともあり、16世紀になると徐々にラテン語の出版物は減少していく。

※8 資料によれば、版画工房が版本のデザインから出版、流通まで直接かかわることは、当時としては異例であり、デューラーの版画工房から出版されていることは特筆すべき点として指摘されている。

参考資料:『ヴァチカン教皇庁図書館展―書物の誕生:写本から印刷へ』カタログ、印刷博物館、2002年/『ヴァチカン教皇庁図書館展―書物がひらくルネサンス』カタログ 、印刷博物館、2015年/『書物の森へ―西洋の初期印刷本と版画』カタログ、町田市国際版画美術館、1996年/『アルブレヒト・デューラー版画・素描展』カタログ、国立西洋美術館、2010年/リュシアン・フェーブル、アンリ=ジャン・マルタン『書物の出現』上・下、筑摩書房、1985年/ そのほか展覧会のHPなど

アルブレヒト・デューラー《黙示録(四人の騎者)》  1948年 紙 活版印刷 木版 420×300㎜ 印刷博物館 *図版出典:『ヴァチカン教皇庁図書館展―書物の誕生:写本から印刷へ』カタログ(印刷博物館、2002年)p148より

アルブレヒト・デューラー《黙示録(四人の騎者)》 
1948年 紙 活版印刷 木版 420×300㎜ 印刷博物館
*図版出典:『ヴァチカン教皇庁図書館展―書物の誕生:写本から印刷へ』カタログ(印刷博物館、2002年)p148より


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