水野千依(芸術学コース教員)
芸術と宗教が袂を分かって久しい今日、ふたたびその分水嶺に立ち戻り、像の地位や機能を歴史人類学的に問い直そうとする動きが美術史学において高まっている。本書もまた、造形芸術が自律性を獲得する以前に多くの崇敬を集めた聖遺物に目を向け、「もの」と「像」との複雑な価値付与のメカニズムと崇敬の身ぶりを広範に論じた示唆に富む一冊である。
小林留美(芸術学コース教員)
『シュルレアリスムのアメリカ』というタイトルから、まず、どのような芸術家や作品を、またどのようなトピックスを連想するか、それはこの欄を読まれている皆さんの美術史的知識と関心とによって様々でしょうが、いずれにせよ、簡潔にして魅力的なタイトルには違いありません。そして、「つまるところ、本書はブルトンとグリーンバーグの言説を両軸として構成されるシュルレアリスム美術論であるといっていい」という序の一文が、端的に本書の主旨とその刺激的な論考とを示唆しているでしょう。
中野志保(芸術学コース教員)
従来、美術史研究において、テクストは、視覚的イメージ(以下、「イメージ」とする)を読み解くための手段であり、他方、歴史学や文学史の研究において、イメージは、テクストを補足するものと捉えられてきた。しかし、本書は、イメージとテクストを「分離させて一対一対応で関係性を云々するのではなく、一体化させたうえで、問題群を論ずる方向を拓く、そのための方法論」を模索することを目的に編まれている。
中野志保(本学講師)
『日本美術を学ぶ人のために』(中村興二・岸文和編、世界思想社、2001年、ISBN-10: 4790708586/ISBN-13: 978-4790708582)は、「はじめに」に語られるように、美術作品を取り巻く様々な「状況」を紹介するものです。周知の通り、日本の美術は、少なくとも明治時代に「美術」という概念/制度が出来るまで、なんらかの機能を持ち、人間の日常生活に供される「モノ」として存在することを期待されてきました。例えば、障壁画は室内装飾という機能を持ち、浮世絵は最新の情報を伝達する機能を持っていました。
中野志保(本学講師)
辻惟雄監修『カラー版 日本美術史』(美術出版社、初版:1991年、増補新装版:2003年、ISBN-10: 4568400651/ISBN-13: 978-4568400656)は、日本美術史を学ぼうとされる方は、最初に読まれる本なのではないでしょうか。かく言う私も、大学受験二次試験の対策に、まずこの本を読むことから勉強が始まりました。第一章の先史・古墳時代から、第十一章の現代まで、まず時代の流れを概説してから、作品の解説へと入っていく構成は、歴史の流れと美術をリンクさせるには、非常に役立ちます。
中野志保(本学講師)
今回紹介するのは、辻惟雄著『奇想の系譜――又兵衛-国芳――』(初版:美術出版社、1970年、新版:ぺりかん社、1988年、文庫版:筑摩書房、 2004年、ISBN-10: 4480088776/ISBN-13: 978-4480088772)です。著者、辻惟雄氏は、『カラー版日本美術史』の編者でもあり、『日本美術の歴史』(東京大学出版会、2005年)を著 したことでも有名な、言わずと知れた日本美術史研究の大家です。その研究姿勢は、一貫して「時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴」(文庫版、 p247)をとらえることにあります。
中野志保(本学講師)
今回紹介するのは、佐藤道信著『〈日本美術〉誕生――近代日本の「ことば」と戦略』(講談社選書メチエ、講談社、1996年、ISBN-10: 4062580926 /ISBN-13: 978-4062580922)です。
本書は、「日本美術」・「日本美術史」をめぐる概念と歴史体系が、どのように成り立っていったのかが考察するものです。もう少し簡単に言えば、私たちが研 究の対象とし、また、その枠組みとする「日本美術」とは、いったいどういうものなのか、ということを、それが生成された「近代」という時代に遡り、また、 少し離れた視点から捉えようという研究です。
中野志保(本学講師)
日本美術史を学び始める方への基本参考文献として、今回紹介したいのは、『フィクションとしての絵画――美術史の眼、建築史の眼』(千野香織・西和夫共 著、ぺりかん社、1991年、ISBN-10: 4831507954/ISBN-13: 978-4831507952)です。
本書がテーマとしているのは、タイトルにもあるように、絵画のフィクショナルな部分に、どのような絵師の作為――すなわち「伝えたいこと」――が見出せるのか、という問題です。
水野千依(本学准教授)
盛夏の候、今年も夏の集中スクーリングが目白押しにはじまる季節となりました。皆様、いかがおすごしでしょうか。暑さも加わり、ただでさえ疲れやすい時期ですが、どうか体調を整えられて、夏を乗り切って下さい。
さて今回は、私がフィレンツェに留学していた頃の美術史の学習についてお話したいと思います。そもそもフィレンツェといえば芸術の都、どの通りを歩いてもさまざまな時代のモニュメントや造形物に溢れかえっており、街全体がいわば美術館のような都市です。日本で得られる作品の知識は、当時はインターネットもなく、今よりはるかに限定されており、まずこの膨大な数の造形物を前にただただ圧倒され、自分の知識の乏しさを思い知りました。とにかく秋にはじまる新学期までは、京都に比する盆地ならではの炎暑のなか、街中をくまなく歩き回ったことを思い出します。
中野志保(本学講師)
本展覧会は、江戸の役人でありながら、漢詩、狂歌、戯作までこなした当代きっての一大趣味人、大田南畝(おおたなんぽ・1749〜1823)を本格的に取 り上げた初めての展覧会です。江戸時代、特に中ごろから後半にかけての(地方としての)江戸文化を研究しようとするならば、必ずどこかの資料に顔を出すほ ど、はばひろく、また多くの狂歌を、本・摺物等さまざまな媒体に残した人です。