今月の一冊:杉原たく哉『中華図像遊覧』

カテゴリー: 『雲母』について |投稿日: 2013年9月9日

金子典正(芸術学コース教員)

 紀元前221年、中国を統一し、はじめて自らを皇帝と称した始皇帝は西安市の東約30キロにある始皇帝陵に葬られ、付近には1万体以上の地下の軍隊である兵馬俑が眠っている。こうした巨大な陵墓や万里の長城の造営、咸陽宮や阿房宮という壮大な宮殿の建設、そして焚書坑儒など、圧政を敷いた始皇帝は後に暴君と評され、司馬遷『史記』をはじめ、近年では咸陽宮における荊軻の始皇帝暗殺未遂を題材としたジェット・リー主演『HERO』を覚えている方もいるだろう。

 さて、杉原氏は本書で「始皇帝-揶揄される暴君」と題する一章を設け、後漢時代の墓葬美術における暗殺未遂図や昇鼎図をとりあげて、古代中国で揶揄された典型的な始皇帝像について述べる。加えて、大変興味深いのは、あわせて紹介された14世紀のアラビア語写本に描かれた始皇帝像と日本の狩野派の作品に描かれた始皇帝像だ。前者は後世の衣冠を身につけて中近東風にくつろぐ姿がキッチュで面白いが、美術史学の研究にとって看過できないのが後者の始皇帝像である。

 それは室町時代から「咸陽宮」の演目で親しまれた能を題材とした扇面画と狩野甚之丞《咸陽宮図》で、始皇帝の妻花陽夫人が琴の秘曲を奏して荊軻の暗殺から夫を見事に救う物語が描かれている。つまり、君主が賢明な夫人の内助の功によって救われるという、史実とはまったく違う内容が描かれているのである。杉原氏は当時の武家の封建的価値観によって歴史が歪曲されて美談にすり替えられてしまったことを解明し、始皇帝の評価も逆転してしまったことを指摘する。本書では同氏がいう「画像を読み解き、その意味合いを多角的に考察する図像学」が、テーマを絞って軽妙洒脱な文体で書かれている。楽しく読める有益な一冊である。

*記事初出:『雲母』2011年12月号(2011年11月25日発行)


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